Advertisement第122回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第127巻第8号

原著
静脈血栓塞栓症に対する奈良県立医科大学附属病院精神科の予防的取り組み―身体拘束に与える影響―
高田 涼平1), 本多 祐也1), 西 佑記1), 福井 裕明1), 岡村 和哉1)2), 盛本 翼1), 井川 大輔1)3), 鳥塚 通弘1)4), 岡田 俊1)
1)奈良県立医科大学附属病院精神医学講座
2)和歌山県立医科大学神経精神医学教室
3)一般財団法人信貴山病院分院上野病院
4)藤田医科大学精神神経科学講座
精神神経学雑誌 127: 543-552, 2025
https://doi.org/10.57369/pnj.25-086
受付日:2024年10月10日
受理日:2025年2月17日

 静脈血栓塞栓症(VTE)は深部静脈血栓症(DVT)および肺血栓塞栓症(PTE)という連続した病態の総称であり,特にPTEを発症した場合の死亡率は30%に及ぶとされ,VTE予防のための十分な対策が不可欠である.向精神薬の服用,肥満,長期臥床,過鎮静など精神科入院患者で頻繁にみられる事項はVTEのリスク因子となる.また,患者自身を保護するために余儀なくされる身体拘束は重篤なVTEのリスク因子であるにもかかわらず,奈良県立医科大学附属病院精神科(当科)ではDダイマーの測定といったVTE評価が十分にされないままに身体拘束後の離床が行われている事例があるなど,課題も多かった.今回,われわれはより安全に配慮し体系的に運用できるように,2023年4月から新たなVTE予防の取り組みを開始した.本稿では,まずVTE予防の取り組みについて紹介する.また,取り組み前後でのVTEの発生状況やこの取り組みの効果について,取り組み前後の各1年間に当科に入院し身体拘束が施行された患者を対象として,後方視的調査を行った.VTE予防について,取り組みの前後で離床時のDダイマー測定率は有意に増加していた.特に取り組み開始後では,身体拘束に伴う新たなDVTの発生はなく,把握する限りPTEの発生も認めなかった.また,身体拘束の状況についても調査したところ,取り組みの前後で,連続24時間以上の継続した身体拘束を要した件数および身体拘束が開始されてから初めて離床するまでの日数は有意に減少していた.以上の結果からは,今回の取り組みがVTE予防に寄与した可能性が示唆された.引き続きVTEの実態について把握し,取り組みについても適宜改良しながらVTE予防に努めていきたい.

索引用語:静脈血栓塞栓症予防, 深部静脈血栓症, Dダイマー, 精神科入院患者, 身体拘束>

はじめに
 静脈血栓塞栓症(venous thromboembolism:VTE)は,深部静脈血栓症(deep vein thrombosis:DVT)および肺血栓塞栓症(pulmonary thromboembolism:PTE)という連続した病態の総称であり,特にPTEを発症した場合は重症化することが多く,死亡率は約30%に及ぶとされている2).向精神薬の服用,肥満,長期臥床,過鎮静など精神科入院患者で頻繁にみられる事項がVTEのリスク因子として報告されている.また,精神科救急・急性期治療の現場では,精神症状の悪化により生じる危険な行為から患者自身を保護するために,身体拘束を余儀なくされることがあるが,身体拘束は重篤なVTEのリスク因子である.日本精神科病院協会の行動制限に関連した医療事故調査報告4)によると,身体拘束事例137件に起きた医療事故は,突然死43件(31.4%),不慮の致傷・致死(窒息,転倒を含む)26件(19.0%),医療行為に伴うもの22件(16.1%)の順となっている.この突然死事例のうち,死因が明記されていたのは13件で,そのうちPTEが8件であったが,統計に表れていない潜在的なVTE事例(PTE含む)は相当な数に及ぶと考えられる.
 日本総合病院精神医学会が2006年に作成した「静脈血栓塞栓症予防指針11)」(以下,予防指針)は,精神科医療機関でのVTE予防の手本になっており,奈良県立医科大学附属病院精神科(以下,当科)でもこれに倣ったプロトコールを作成し運用してきた.身体拘束を最小限にとどめようという理念から,身体拘束が施行された患者のケア(排泄や入浴,更衣,理学療法,歩行訓練など)や病状観察のために,医師の指示の範囲内で一時的に身体拘束帯を外し離床させることに努めてきた.一方で当科は大学病院(総合病院)に属しており,Dダイマー測定や下肢静脈エコー,循環器内科へのコンサルトなどが比較的容易な環境にありながら,身体拘束後の離床時にVTE評価が必ずしも行われていないなどの課題があった.患者自身の保護のために行った身体拘束が望まない結果につながらないようにVTE予防プロトコールの見直しを行う必要があったことに加え,同時期に奈良県立医科大学附属病院全体でのVTE予防プロトコール見直しの要請があったこともあり,新たなVTE予防の取り組みを2023年4月から開始した.

I.当科のVTE予防の取り組み
 以前は予防指針に倣ったプロトコールを作成し運用していた.新たなVTE予防の取り組みとしては主に以下の3つであり,大きく見直した項目について下線や表で示した.

1.VTEのリスク評価とその結果に基づく予防的処置の実施
リスク因子の分類は,基本リスク(表1)と,増強リスク(表2)の2つに分類した.身体拘束は増強リスクに位置付け,「24時間以上継続する身体拘束」と「それ以外の身体拘束」の2つに分けた.「24時間以上継続する身体拘束」は身体拘束帯を用いた連続24時間以上継続する身体拘束,「それ以外の身体拘束」は身体拘束帯を用いた連続24時間未満の身体拘束に加えてミトン装着と四点ベッド柵としている.そして,基本リスクに増強リスクを加えたものを合計リスクとし,低リスクから最高リスクの4つのレベルに階層化し,各レベルに応じて予防法を選択することとした(表3).抗凝固療法が必要な場合は,定期的に血液検査を行い,血小板や活性化部分トロンボプラスチン時間(activated partial thromboplastin time:APTT)の値を確認しながらヘパリン1万単位/日を皮下注射した.なお,これらは先述の予防指針11)と,日本循環器学会と合同研究班参加学会による「肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断,治療,予防に関するガイドライン」10)をもとに作成した.

2.Dダイマー測定の徹底とフローチャートの作成
 ほとんどの入院患者は,「向精神薬の服用」をはじめとした何らかの基本リスクを有しているため(表1),身体拘束を開始した時点で合計リスクが2点以上となり,弾性ストッキング(elastic stocking:ES)や間欠的空気圧迫法(intermittent pneumatic compression:IPC)といった血栓予防法が必要となる(表3).しかし,すでに血栓が形成されている場合はESやIPCを行うことで,かえって血栓を飛散させPTEを招く恐れがある.これを防ぐために血栓予防法を開始する前に必ずDダイマーを測定し,血栓予防フローチャート(身体拘束開始時,図1)に沿って対応を行うこととした.例えばDダイマーが3 μg/mL以上であった場合は,補液を行いながら下肢静脈エコーを実施し,DVTがないことを確認してからESやIPCなどの血栓予防法を開始している.もしDVTがあった場合には心電図モニターを装着し,患者の急変を見逃さないように備えている.なお,以前は症例ごとに医師の裁量でDダイマーの測定やその値に伴う対応を行っていた.
 身体拘束中に下肢に血栓が形成された場合,離床した際に血栓が飛散しPTEを生じる可能性がある.そのため,24時間以上の継続した身体拘束を行った後に初めて離床させる際に必ずDダイマーを測定し,血栓予防フローチャート(24時間以上の継続した身体拘束から初めて離床する時,図2)に沿って対応することとした.なお,以前は長期にわたる身体拘束のあとは下肢の腫脹や左右差などを確認したうえで,症例ごとに医師の裁量でDダイマーの測定やその値に伴う対応を行っていた.
 なお,フローチャート上の遠位型DVTとは膝から足首まで,近位型DVTは腸骨から膝までのDVTのことを指し,遠位型の場合は無症状であれば経過観察しながら,新たな血栓を作らぬよう積極的に理学療法や歩行など離床時間を設けるように指示した.Dダイマーの測定はラテックス凝集法(積水メディカル社,基準値<1 μg/mL)を用いた.Dダイマーは陰性的中率が高く,陽性的中率が低い検査である8)15).このため,Dダイマーが基準値未満の場合はVTEなしと判断した.一方で,心筋梗塞や心不全,脳梗塞,感染症,外傷,肝疾患,悪性腫瘍,妊娠などでもDダイマーが基準値を超える可能性があり14),Dダイマーが基準値を超える対象者すべてに下肢静脈エコーを行うことは実務上困難である.DVTを発症した症例の最小のDダイマー値が2.96 μg/mLであったという阿部らの報告1)をふまえ,今回の取り組みでは下肢静脈エコーを行うDダイマーのカットオフ値を3.0 μg/mLとした.Dダイマーが1.0 μg/mL以上3.0 μg/mL未満で,かつ基本リスク(表1)が2点以上の場合も,下肢静脈エコーを実施した.

3.身体拘束の状況把握と指示簿への記載
 これまでDダイマーの測定などVTE評価を十分に行わないまま,24時間以上の継続した身体拘束を施行した患者の離床が行われるという問題があった.これを防ぐためのルールとして,身体拘束を行う場合には,a)24時間以上の継続した身体拘束にならないように1日1回は離床をさせる,b)24時間以上の継続した身体拘束となった場合は最初の離床時に医師に連絡する,のいずれかを電子カルテの指示簿に入力するよう取り決めた.a)の場合は追加でのDダイマー測定は不要であり,b)の場合は連絡を受けた医師がDダイマーを測定することとした.また,毎日のカンファレンスや行動制限最小化委員会などを通じて,極力a)を継続できるように協議し,必要があれば集中的に人員を確保するなどして,1日1回は離床できるように努めている.なお,介助の有無は問わずに,ベッドから離れて歩行すること,歩行が困難な場合は立位を保持することを離床と定義した.

表1画像拡大表2画像拡大表3画像拡大
図1画像拡大
図2画像拡大

II.VTEの実態調査およびVTE予防の取り組みの効果
 今回,当科に入院中に身体拘束が施行された患者を対象として,取り組み前後でのVTEの発生状況や取り組みの効果について診療録の後方視的調査を行った.また,取り組み前後での身体拘束状況についても調査を行ったので合わせて報告する.

1.方法および対象
1)対象期間
 新たなVTE予防の取り組み開始前の対象期間を2022年4月1日から2023年3月31日とし,開始後の対象期間を2023年4月1日から2024年3月31日とした.
2)対象者
 対象期間中に当科の精神科救急急性期医療入院料算定病棟および精神科救急・合併症入院料算定病棟に新規入院し,身体拘束が施行された者を対象者とした.新たなVTE予防の取り組み開始前の対象者を開始前群,開始後の対象者を開始後群とした.なお,入院後まもなく他院へ転院となった症例は除外した.
3)調査項目
(1)VTE予防に関する調査
 i)患者属性として入院時年齢および性別,身体拘束が施行された者の入院時Global Assessment of Functioning(GAF)および精神科診断(国際疾病分類第10版:ICD-10に基づき分類した),身体拘束の開始理由(ア:自殺企図または自傷行為が著しく切迫している場合,イ:多動または不穏が顕著である場合,ウ:アまたはイのほか精神障害のために,そのまま放置すれば患者の生命にまで危険が及ぶおそれがある場合,エ:その他の4項目とした),身体合併症(精神科身体合併症管理加算の対象疾患)の有無
 ii)身体拘束開始時および24時間以上の継続した身体拘束から初めて離床するときのDダイマー測定率
 iii)開始前群におけるVTE症例の有無とDダイマー値
 iv)開始後群におけるVTE症例の有無とDダイマー値
(2)取り組み前後での身体拘束状況の調査
 i)身体拘束の施行期間(身体拘束が開始されてから解除されるまでの日数)
 ii)離床までの期間(身体拘束が開始されてからケアや病状観察のために初めて離床するまでの日数)
 iii)24時間以上の継続した身体拘束を要した件数
4)解析方法
 数値に関する項目は単純集計を行い,平均(標準偏差)で示した.統計解析には,2群間の比較にはMann Whitney検定を,分割表の比較にはχ2検定を施行し,P<0.05を有意差ありと規定した(*P<0.05,**P<0.01,***P<0.001).
 本研究は奈良県立医科大学医の倫理審査委員会での承認を得ており,オプトアウト手続きを行った後に本研究を開始した.また,個人情報については著者の所属機関において厳密に管理している.

III.結果
1.VTE予防に関する調査
1)患者属性(表4
 取り組み開始前の対象期間に入院した患者390名の入院時年齢は43.9(20.0)歳で,男性が155名,女性が235名であった.取り組み開始後の対象期間に入院した患者351名の入院時年齢は44.7(20.3)歳で,男性が132名,女性が219名であった.入院時年齢(P=0.519)や性別(P=0.551)に関して両群で差を認めなかった.そのうち身体拘束が施行されたのは開始前群74件,開始後群73件であった.同一患者で複数回施行された場合は別カウントとしており,患者数にすると開始前群59名,開始後群68名であった.両群において性別,入院時GAFに差を認めなかった.入院時の年齢は,開始前群が42.7(19.4)歳,開始後群が51.6(20.1)歳であり,有意な差を認めた(**P=0.0049).精神科診断に関しては,両群ともに,F0(症状性を含む器質性精神障害)とF2(統合失調症圏)が2割以上を占め,この2つの診断が5割を占めていた.身体拘束開始理由は両群ともにイ(多動または不穏が顕著である場合)が6割以上を占めていた.身体合併症を有していたのは,開始前群29件,開始後群36件であり,両群に差を認めなかった(P=0.247).以上の結果より,身体拘束が施行された者の基本属性は,年齢を除いておおむね両群で一致していた.
2)身体拘束開始時および24時間以上の継続した身体拘束から初めて離床するときのDダイマー測定率
 開始前群74件中,身体拘束開始時にDダイマーが測定されたのは67件で,その測定率は90.54%であった.一方,開始後群73件中,身体拘束開始時にDダイマーが測定されたのは69件で,その測定率は94.52%で,両群に差を認めなかった(P=0.533).
 開始前群74件中,24時間以上の継続した身体拘束を施行されたのは44件であった(なお,連続24時間未満の身体拘束が28件,ミトン装着が2件,四点ベッド柵が0件であった).44件のうち,初めて離床するときにDダイマーが測定されたのは27件で,その測定率は61.36%であった.一方,開始後群73件中,24時間以上の継続した身体拘束を施行されたのは30件であった(なお,連続24時間未満の身体拘束が42件,ミトン装着が1件,四点ベッド柵が0件であった).30件のうち,初めて離床するときにDダイマーが測定されたのは28件で,その測定率は93.33%であり,開始後群で有意に増加していた(**P=0.0020).なお,同一件中に24時間以上の継続した身体拘束が複数回施行されたケースはなかった.すなわち,24時間以上の継続した身体拘束が施行されてから,初めて離床した後は,1日1回の離床を継続して行うことができていた.
3)開始前群におけるVTE症例の有無とDダイマー値
 開始前群で身体拘束開始時にDダイマーが測定された67件のうち,Dダイマー値がフローチャート上で下肢静脈エコーによる評価の対象となる3 μg/mL以上,もしくは,1~3 μg/mLかつ基本リスクが2点以上であったのは10件であった.10件中,7件で下肢静脈エコーを行っており,DVTは認めなかった.24時間以上の継続した身体拘束から初めて離床する際にDダイマーを測定した開始前群27件のうち,医師の裁量で下肢静脈エコーを行ったのは3件であった.Dダイマーの値は順に7.8 μg/mL,3.3 μg/mL,2 μg/mLであり,7.8 μg/mLであった症例に遠位型DVTを認めた.この症例は拘束開始時のDダイマー値が5.9 μg/mLであり,当初は下肢静脈エコーではDVTを認めなかった.連続10日間の継続した身体拘束を要しており,リスク分類に沿えばIPCを開始すべきであったが精神運動興奮が著しくやむを得ずESで対応していた.調査期間に明らかなPTEの発生が疑われる事例はなかった.
4)開始後群におけるVTE症例の有無とDダイマー値
 開始後群で身体拘束開始時にDダイマーが測定された69件のうち,Dダイマー値がフローチャート上で下肢静脈エコーによる評価の対象となる3 μg/mL以上,もしくは,1~3 μg/mLかつ基本リスクが2点以上であったのは23件であった.なお,開始前群も含めて身体拘束開始時にDダイマーが高値であった症例は,悪性腫瘍や骨折などの外傷,重症肺炎のため一般病棟で身体拘束が長期間施行されていた,抑うつ状態や昏迷のために入院前に長期臥床していたなど,いずれも基本リスクが中リスク以上であった.全23件に下肢静脈エコーを行ったところ,4件にDVTを認め,Dダイマーの値は順に8.5 μg/mL,3.8 μg/mL,3.6 μg/mL,2.1 μg/mLであった.なお,3.8 μg/mL,2.1 μg/mLであった2件に近位型DVTを認め,ともに過去にDVTの既往があった.この2件については当院の循環器内科にコンサルトのうえで抗凝固療法を行った結果,DVTは消失した.残り2件の遠位型DVT症例については,無症状であったため経過観察とともに積極的に理学療法や離床の時間をもうけ対応した.
 身体拘束開始時に,合計リスク(表3)に応じた血栓予防法のうちIPCを用いたのは22件,抗凝固療法を行ったのは3件で,すべて24時間以上の継続した身体拘束が必要であった.24時間以上の継続した身体拘束が必要な場合は,リスク表に基づくと自ずとIPCや抗凝固療法を用いることとなるが,開始後群における30件のうち残りの5件は興奮が強くIPCが装着できなかったため,本人および家族にリスクを説明したうえでやむを得ずESのみを用いることとした.なお,抗凝固療法を行った症例で出血性の合併症は生じなかった.
 24時間以上の継続した身体拘束から初めて離床する際にDダイマーを測定した開始後群28件のうち,プロトコールに沿って下肢静脈エコーを要したのは4件であった.Dダイマーの値は順に3.4 μg/mL,2.6 μg/mL,2.5 μg/mL,2.4 μg/mLであり,いずれもDVTは認めなかった.調査期間に明らかなPTEの発生が疑われる事例はなかった.

2.取り組み前後での身体拘束状況の調査
1)身体拘束の施行期間
 開始前群が21.32(27.34)日,開始後群が15.38(19.24)日であり,群間で差を認めなかった(P=0.2228).
2)離床までの期間
 開始前群が10.70(20.02)日,開始後群が3.41(7.10)日であり,開始後群で有意に短かった(***P=0.0008).
3)24時間以上の継続した身体拘束を要した件数
 開始前群が74件中44件(59.46%),開始後群が73件中30件(41.10%)であり,開始後群で有意に少なかった(*P=0.0260).前述のとおり,同一件中に24時間以上の継続した身体拘束が複数回施行されたケースはなかった.

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IV.考察
 VTE予防について,取り組み開始前の離床時のDダイマー測定率は61.36%と低く,身体拘束後のVTE評価が不十分であるという臨床現場での実感と一致していた.一方で,取り組み開始後は,100%には及ばなかったものの測定率は93.33%と有意に増加していた.
 VTE診断におけるDダイマーのカットオフ値に関して,前述の精神科患者を対象とした阿部らの報告1)では,3.0 μg/mLで感度91.7%,特異度78.2%であった.ほかにも,整形外科領域において10.0 μg/mLで感度72%,特異度78.2%5),婦人科領域において1.5 μg/mLで感度100%,特異度61.6%6)であったなどさまざまな領域から報告されているが,統一した基準がないのが現状である.また,下肢外傷・下肢手術患者,中リスク以上でDダイマーが2.0 μg/mL以上である患者1,676名を対象に下肢静脈エコーを行いDVTの有無を調べた調査9)では,DVT陽性群と陰性群のDダイマーの平均は,それぞれ9.5 μg/mL,4.1 μg/mLで有意な差があった.さらに,遠位型と近位型のDダイマーの平均は順に8.0 μg/mL,20.5 μg/mLであり,その差も有意であったと報告されている.今回の調査で,開始後群で身体拘束開始時にDVTを認めた4件のうち1件のDダイマー値は2.1 μg/mLであり,今回の取り組みで設定したカットオフ値3.0 μg/mLを下回っていた.この症例はDVTの既往があったため,基本リスク評価とDダイマー測定を組み合わせて行うフローチャート方式を用いて,近位型DVTを発見でき大事に至らなかったことは幸いであった.一方で,精神科救急の場面においては既往歴などに関して十分な情報が得られないこともあり,そういったリスクも勘案した基本リスク表の見直しや,Dダイマーのカットオフ値の設定については今後の検討課題といえる.
 身体拘束開始時に測定したDダイマー値がフローチャート上で下肢静脈エコーによる評価の対象となったのは,開始前群67件中10件,開始後群69件中23件であった.DVT予防にIPC使用が推奨されている一方で,DVTがある場合は血栓を遊離させてしまう恐れがあるためIPCの使用は禁忌となっている.自施設内で下肢静脈エコーができない単科の精神科医療機関において,拘束開始時に測定したDダイマーが下肢静脈エコーによる評価の対象となるような値であった場合,IPC使用は現実的ではなく,われわれの血栓予防法(表3)を汎化させるには限界があると考えられた.一方で,開始前群で身体拘束に伴ってDVTが発生した症例からは,あらためてIPCによる予防の重要性が示唆された.
 身体拘束状況の調査の結果,身体拘束を必要とした件数は取り組み開始前,開始後ともに入院患者の約2割であったが,24時間以上の継続した身体拘束を要した件数は開始前群で約6割であるのに対して開始後群で約4割と有意に減少していた.また,身体拘束が施行されてからケアや病状観察などのために離床するまでの日数は開始前群と比較して開始後群で有意に短縮していた.今回の取り組みを始めたことで,日常的に医療スタッフ間でVTEに対する知識の共有がなされるようになり,VTEへの危機意識が向上し,特に「24時間以上の継続した拘束にならないように,1日1回は離床をさせる」という共通の認識をもち,実践可能となった結果と考えられた.
 最後に,本邦では身体拘束施行数が増加傾向にあることや,諸外国と比較して施行期間が長いことが指摘されている7)12)13).われわれも身体拘束の実態調査(2014年から2018年までの5年間)を行い,身体拘束施行数が増加傾向にあり,施行期間が諸外国と比較して長いなど,本邦でみられるのと同様の問題を抱えていることを報告した3).これらから,身体拘束を最小限にとどめることはいうまでもなく,よりDVT対策に注力する必要があると考えられる.今回の取り組みを通じて,積極的に離床させることがより精神症状を観察することにつながり,身体拘束の施行期間に副次的な影響を及ぼすと推測したが,身体拘束の施行期間では開始前群と開始後群で有意な差を認めなかった.2008年に行われた精神科救急入院料(現在の精神科救急急性期医療入院料)を認可された病棟をもつ多施設による調査において,身体拘束の施行割合は20%,平均施行期間は7.2日であり,海外の先行研究に比して施行割合が多く,施行期間は長いことが報告されている12)13).この結果と比較して,開始後群の施行期間は依然として長期間であった(15.38日).この結果を解釈するうえで当科の特性を考慮しなければならないため,以下,簡潔に紹介する.
 当科病棟は2フロア計104床からなり,精神科救急急性期医療入院料算定病棟(スーパー救急病棟:52床)と精神科救急・合併症入院料算定病棟(52床)を有する.県の3次精神科救急のみならず,高齢者や妊産婦,透析,要手術患者などの身体合併症をもつ患者の受け入れも行っている.自ずと精神的だけではなく身体的にも重症な患者の割合が高くなり,本人の生命を守るために身体拘束が必要な状況も増加する.病状観察のための離床時間を十分に取っているものの,発作的に激しい自傷行為を繰り返すため身体拘束が長期化する患者が一定数いることや,手術後の安静が必要な身体合併症患者が多いことが,身体拘束施行期間が短縮しにくい要因と考えられた.野田らによると年齢は身体拘束の施行期間に影響しないとされているが12),今回の調査では開始後群の年齢は高くなっており(表4),高齢の患者では転倒受傷から本人を保護するために身体拘束を必要とするケースが多いことも施行期間を延長する一因として考えられた.しかし,「当科の特性上仕方がない」と思考を止めずに,身体拘束の必要性そのものについて慎重に吟味し,代替方法を十分に検討し,最小限にとどめることが今後の課題である.

おわりに
 当科におけるVTE予防の取り組みについて紹介した.取り組み開始後の期間において,DVTを早期発見できたこと,身体拘束後の新たなDVT発生がみられなかったこと,またPTE症例を認めなかったことは幸いであった.
 当日中のDダイマー値の確認や下肢静脈エコー検査,フットポンプの着用による間欠的空気圧迫法,ヘパリンの投与などは,単科の精神科医療機関では困難な場合が多いことも想定され,各医療機関の実態に応じた予防策が必要であろう.しかし,基本リスク表を用いたり,「身体拘束開始前にDダイマーを測定」したりすることで,あらかじめVTEリスクが高い症例を把握するとともに,「24時間以上の継続した拘束にならないように,1日1回は離床をさせる」よう取り組むことなどは,多くの医療機関で取り入れることが可能であると考えられる.今後もVTEの実態について観察期間を拡大し,取り組みについても適宜改良しながらVTE予防に努めていきたい.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

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15) 山崎佐枝子, 三浦 崇, 千田啓介ほか: 深部静脈血栓症を疑って施行された下肢静脈超音波検査の有病率に関する検討. 脈管学, 58 (9); 145-149, 2018

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