Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第124巻第6号

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特集 今日の精神医学の検証―バイオマーカーを持たない精神医学の望ましい航路とは―
精神医療の守備範囲―精神医療の現場からみたこれからの精神医学―
宮岡 等
北里大学名誉教授(前,北里大学医学部精神科)
精神神経学雑誌 124: 405-408, 2022

 本稿ではバイオマーカーをもたない精神疾患を対象とする精神医療が対応すべき範囲について,現状の問題と今後の課題を述べる.精神医療現場で検討すべき精神医学自体の問題として診断基準,バイオマーカーの意義,疾患喧伝,厚生労働省と精神科関連学会や協会との適切で透明化された議論不足などが挙げられる.また精神科医の問題としてガイドラインの軽視,自己流の治療,不十分な精神科専門医制度が検討されねばならない.特に大きな問題は医療機関の収益性であり,入院患者数を減らすことができるか,不適切処方がなくなるか,など多くの問題の背景にあると考えられる.今後の課題としてバイオマーカーに安易にとびつかない診療および研究姿勢,evidence-based medicineの再考,精神科医の診療対象が広がったほうがよいのか,精神医療の透明化などが求められる.現状の精神医療をみていると,臨床に直結しない研究結果を出すよりも現場の問題への対応を第一に考え,それができる教育者や教育施設を増やすことがより喫緊の課題のように思えてならない.

索引用語:バイオマーカー, 厚生労働省, 疾患喧伝, 精神科専門医制度, 収益性>

はじめに
 精神疾患ではさまざまなバイオマーカーが検討されてきたが,現時点ではすべて失敗に終わっているといえるであろう.そのせいもあってか,中核的な精神疾患の一部は精神医療の確かな対象といえるにしても,「診療対象である/ない」が現場の臨床家任せにされている場面が少なくない.すなわち,(i)治療可能性よりも収益性を重視して診療対象を選ぶ,(ii)自分が治療を苦手とする病態を診ようとしない,(iii)精神科医以外のメディカルスタッフと連携して,対応する努力を怠る,(iv)診断が確定されにくいため,自己流の治療を行うなどの傾向が目につく.
 本稿では,精神医療が対象とすべき範囲という観点から,現状の精神医療において修正すべき点を探る.

I.精神科医の対応すべき範囲に疑問を感じた例
 著者は,2021年3月まで,大学病院に勤務する医師であるとともに,教室では地域の妊産婦,高齢者,教員などのメンタルヘルスに関して,積極的に地域医療や支援者支援に加わっていた.そのなかで精神科医の診療姿勢に疑問を感じた例の一部を表1に挙げる.
 1)アルツハイマー型認知症の例と,3)職場不適応の新人教員の例(表1)は結果的に支援者から受診を勧められており,支援者支援の必要性を感じた例である.3)の職場不適応の新人教員の例では教育委員会担当保健師への支援は現在も続けられており,休職者の減少傾向がみられている.2)の成人の自閉スペクトラム症が疑われた例も専門が内科である産業医への適切な支援者支援が軽視されていたといえる.4)の統合失調症の例では患者に対するバイオマーカーの有用性の説明が不足していた可能性がある.

表1画像拡大

II.精神医療現場で検討すべき課題
 精神科医が担当すべき範囲に影響を与えており,今後検討すべき問題を挙げる.厳密な分類は困難であるが,一応3項目に分けて記載した.

1.精神医学自体の問題
 第一に,精神医療の範囲を明確にするためには精神疾患の診断基準を,精神科医以外にもわかるように,明確にすることが必要である.しかし現実には診断基準は複雑で変わりすぎる傾向があり表2のような問題がみられる.
 第二に,精神疾患診断におけるバイオマーカーで保険収載されているのは光トポグラフィー検査のみである.しかしこれに関する精神科医の理解と評価にはばらつきが大きく,臨床現場を混乱させている.またさまざまなバイオマーカーの可能性が報道されるが,学会など専門家間での検討前にマスメディアに公表する研究者がいるのも現場の混乱を強めている.
 第三に,効果に大きな差はない新薬が次々に発売されているように思う.これに伴って疾患への注目が促され,疾患としての妥当性が曖昧なまま,明確な臨床単位であるかのような誤解まで生まれて薬剤の使用量が増えやすい.さらに新薬の販売量を増やそうとしてその誤解を強めようとする製薬企業や,そのような企業の活動に加担する精神科医も少なくない.
 第四に精神医療の課題を考えるとき,厚生労働省との関係は軽視できない.あまり表に出てこないため,一般精神科医は理解しにくい.厚生労働省,日本精神科病院協会,日本精神科診療所協会,日本精神神経学会の関係やそこで行われている議論に一般精神科医はもっと目を向けるべきであると思う.

2.精神科医の不十分な知識
 第一に精神疾患のガイドラインもいくつか作られているがそれに準じた治療がなされていないことが多い.不勉強の背景には精神疾患では共通性を重視するよりも個別性を重視した治療が必要であるという考えがあり,その「個別性治療」が自己流の治療を許容しているようにも思う.
 第二に精神科専門医制度によって最低限の知識をもつ精神科医は育ってきているが,どこかに精神科は難しくないという誤解があるのではないか.他科から急に精神科医に転じた医師が普通に精神科を標榜して診療している姿に驚くことがある.また「自分は発達障害は専門でないから」と他の医師に紹介しようとする精神科医が少なくない.精神科専門医の診療対象をもう少し明確にしたほうがよい.極端な場合,面接に時間がかかる患者を「発達障害の疑い」として,他の医療機関に紹介しようとする精神科医にもたまに出会う.裏には収益性の高い患者を集めようとする意図を感じることもある.

3.医療機関の収益性
 医療機関が収益性を求めるのは当然のことであるし,特に日本のように精神科医療機関に私立が多いとその傾向は著しくなる.外来患者においては面接時間を短縮して多くの患者を診たほうが収益性が上がるようであるため,面接時間を短縮するために薬物療法が多用される.また精神医療が必要かどうか十分検討すべき軽症患者にも治療(medicalization)や薬物療法(pharmaceuticalization)を勧めることがすでに起こっていると考えられる.その背景の一部には医療以外の社会資源の利用や連携を知らない精神科医が多いことも関係している.
 また精神科入院患者数や精神病床数を減らす必要性がいわれて久しいが,目標にはほど遠い.これも多くの入院患者を有する精神科病院の収益性との関係が大きい.しかし私立の精神科病院が著明に増加した日本の歴史的背景を考えると,経済面の補償など検討すべき課題が多い.

表2画像拡大

III.精神医学の望ましい航路を求めて
 認知症や注意欠如・多動症における不適切な薬物療法,周辺職種との連携の欠如,安易な抗うつ薬,抗不安薬,睡眠薬処方や多剤併用,疾患喧伝と思われる宣伝行為への一部精神科医の迎合,十分に減らせない精神科入院病床数,隔離,拘束の必要性と適切性など,精神医療の現場は問題が山積している.他の診療科の医療よりも医師以外の方から問題がみえやすいという面もあるのかもしれない.著者は2021年3月に大学を退職したが,もう少し精神医療の改善は急げるのではないかという印象を常にもっていた.
 今後の航路について,思いつくままに表3に挙げた.第一に,バイオマーカーを見いだすことは諸問題解決にきわめて有用であるが,これまでの歴史をふりかえるとそう簡単に見つけうるとは思えない.また見いだしたかのようなマスメディアへの公表は現場の医療を混乱させる.可能性のあるバイオマーカーが見つかったとしても,学会など専門家間での十分な議論を積んでほしいと思う.
 第二に,一時,evidence-based medicineの強調とともにevidence-based psychiatryが強調された.これがやや下火になるとともに,薬物の有用性などでevidence-based medicineを装っているが厳密にはそうともいえない研究結果が広まり,一方では現場の精神科医の自己流治療が増えているように思う.難しい問題であり,「科学」をどうとらえるかにも関係するが,「個別性を重視し,『共通性』幻想を抱かないような精神科臨床研究の科学的方法論」が再考されねばならないと思う.
 第三に,かつて統合失調症,うつ病,認知症などが生物学的に解明されれば内科医の診療対象になり,神経症は心理療法やカウンセリング,環境調整は心理職や精神保健福祉士が行えば,精神科医は自傷他害のおそれのある患者のみ診るようになるかもしれないという極端な議論があった.一方,精神科医が自らの診療対象を広げようとすることが,多職種連携を阻み,薬物療法を増やす可能性に通じうるとも思う.考えようによれば,精神科医の医療と周辺の問題における自らの役割を減じようとする努力が,よい医療につながるのかもしれない.精神科医に求められる役割は常に検討を続けるべきであろう.
 第四の精神医療の透明化はこれまでと少し異なる話であるが,著者は常に強調している.精神医療は「個人情報保護という大きな課題」のために密室化されやすい.外科医が手術の手元をビデオにとって多くの専門家で議論できるのとは異なる.この密室化が不適切な薬物療法や自己流の精神療法を増やしている可能性がある.多職種連携を図って患者の同意を得て診療に同席してもらう,大学など大きい組織ではケースカンファレンスを増やすなどの努力が不可欠であるが,この問題は相当大きいと考える.

表3画像拡大

おわりに
 「今日の精神医学の検証―バイオマーカーを持たない精神医学の望ましい航路とは―」という課題をいただいて,あらためて現場をみると早急に対応すべき問題が山積している.現状の精神医療をみていると,臨床に直結しない研究結果を出すよりも現場の問題への対応を第一に考え,それができる教育者や教育施設を増やすことが喫緊の課題のように思えてならない.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

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