Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第124巻第3号

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原著
本邦のプロフェッショナル演奏家におけるMusician's Dystonia発症前後のストレスに関する実態調査
野網 惠1)2), 坂本 崇1), 髙橋 祐二1)
1)国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター病院脳神経内科
2)一般社団法人長谷川メンタルヘルス研究所
精神神経学雑誌 124: 157-167, 2022
受理日:2021年11月9日

 Musician's dystoniaは音楽家生命を脅かす神経疾患である.症状増悪にはストレスの関連が示唆されている.本研究では,musician's dystonia発症前後のストレスを心理学的に検討し支援へと展開するために,17名のプロフェッショナル演奏家を対象として出来事への体験,QOL,感情,認知,動機づけ,対処スタイルに関する質問紙調査を行った.その結果,これまでに何らかの「強いストレスを伴う出来事」を体験した者は14名(82.4%),musician's dystonia罹患を「強いストレスを伴う出来事」と評価した者は12名(70.6%)でその全員がmusician's dystonia罹患を「もっとも強いストレスとなった出来事」と回答した.さらに,musician's dystonia発症周辺期における低い「日常役割機能(身体/精神)」と「心の健康」,発症後における高い「自己に関する否定的な認知」,「トラウマに関する自責の念」および演奏中の「状態不安」が示された.これらの結果は,プロフェッショナル演奏家にとってmusician's dystoniaが,自己否定的・自責的な認知的評価と演奏中の高い不安を長期間にわたって維持する広い意味でのトラウマティックなストレスとなりうることを示唆する.

索引用語:音楽家のジストニア, 職業性ジストニア, ストレス, プロフェッショナル演奏家>

はじめに
 ジストニアは,中枢神経系の持続的な筋緊張を特徴とする運動異常症の一症候群であり,発症年齢,発症部位,経過,随伴症状の有無などの臨床特徴と神経病理,原因などの病因に基づいて分類される23).ここでは,音楽家という職業に関連して身体の一部にジストニア症状が生じるmusician's dystonia(MD,音楽家のジストニア)について述べる.
 MDは音楽家生命を脅かす神経障害である23)31).MDの病態は,運動制御,情動,動機づけ,認知,新たな行動学習などに関連する大脳基底核(basal ganglia)を中心とした運動サーキットの障害や,運動および高次認知機能にかかわる小脳を起源として考えられている1)5)12)16)24).MDの発症率は,プロフェッショナル音楽家において約1%である2)36).診断は完全に症状に基づいて行われるため26),MDに精通した医師によることが重要である27).発症には,高度に複雑で正確な演奏という運動を長期間繰り返し行うことが影響していると考えられている.MD発症のリスクは,演奏開始年齢7.7歳以上,総演奏時間10,000時間以上,実践期間10年以上で高まる25)29).発症の仕方は緩徐,あるいは突然である26).発症部位は演奏楽器によって異なるが,演奏に重要な身体部位と考えられている.典型的には,鍵盤楽器および弦楽器奏者の手指,管楽器奏者のアンブシュア(管楽器を演奏するときの顔,顎,口腔の形)23),打楽器奏者の下肢や上肢などであるが,演奏にかかわるすべての運動機能に影響が及ぶ可能性がある4)9)30).症状は,基本的には楽器演奏時にのみ発現する動作特異性を特徴とする.手指の伸展・屈曲・振戦・運動速度の異常など,アンブシュアの振戦・固縮・左右のアンバランス運動など,上肢のしなりの悪さ・手首の動きにくさなど,下肢の動きにくさなどで1)22),演奏に重要な身体機能の低下により思うように演奏することが困難となる.治療法はボツリヌス毒素注射,服薬,外科手術などの対症療法が中心であるが6)22),いまだ決定的な治療法はない.
 MDの増悪,または遷延には,パーソナリティ,ストレス,不安などの心理的要因の関与が示唆されている2)17)19)20)34).著者らが行った音楽家を含む局所性ジストニア患者を対象とした認知行動療法(cognitive behavior therapy for focal dystonia:CBT-FD)を用いた実証研究では20),MD患者の不安,抑うつ,QOLの改善のみならず,MD症状による機能障害が回復する場合があることを経験した.また,Ioannou, C. I.らは14),不安がMDに関与しているグループと関与していないグループがあることを示唆しており,今後の研究成果が待たれるところである.このように,MDは音楽家の心身両面にストレスをもたらすが,その一方でMDには変化の可能性があることも示唆されている.
 本研究では,プロフェッショナル演奏家におけるMD発症前後のストレスを心理学的に検討し11)13)17)21)22)32),支援へと展開したいと考えた.そのために,大脳基底核を中心とする運動ループ仮説および小脳仮説を踏まえ1)5)12)16)23)24),認知モデルの観点から7),出来事への体験,QOL,感情,認知,動機づけ,対処スタイルに関する質問紙を用いて調査研究を実施した.

I.方法
1.対 象
 共同研究者および研究協力者からの紹介者,当院脳神経内科受診者,既研究参加者〔承認番号:A2014-095,承認日:2014年10月17日,国立精神神経・医療研究センター開発費「パーキンソン病をはじめとする神経変性疾患の包括医療に関する研究」(27-4,30-4)の提供〕のいずれかで,神経内科専門医でありジストニアを専門とする共同研究者の診察を当院において受診し,MDの診断を受けた本邦のプロフェッショナル成人演奏家で,2016年2月から2018年3月にかけて研究参加に同意した17名を対象とした.

2.倫理的配慮
 本研究は国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター倫理委員会の承認を得て実施した(承認番号:A2015-097,承認日:2016年1月22日).研究参加説明書を用いて説明を行った後,同意書への署名により同意を取得した.

3.質問項目と回答方法
 基本属性を問うために質問票を作成した.質問票の質問項目について,人口統計学的属性は,性別,年齢,発症部位,罹病期間,発症年齢であった.行動学的属性は,演奏に関して,演奏開始年齢,演奏期間,1日あたりの演奏時間(プロフェッショナル演奏家になって以降,MD発症直前,MD発症直後,調査時)であった.診察に関しては,受診医療機関数,症状に気づいてから診断を受けるまでの月数であった.その他,医療機関および医療機関以外の機関における治療経験,出生状況,仕事の内容,経済状況,MD症状について発症,推移,感覚トリック(身体の一部に自身の手などで感覚入力を与えることにより症状が軽快すること)15),MDによって困難になった演奏技術などであった.
 心理評価には,標準化された質問紙を用いた.強いストレスを伴う出来事の体験11)22),およびMD罹患が強いストレスを伴う出来事に該当するかどうかを問うためにPTSD臨床診断面接尺度DSM-IV日本語版(Clinical-Administered PTSD Scale for DSM-IV:CAPS-IV)にセットされている出来事チェックリスト(Life Events Check List:LEC)11),調査時およびMD発症周辺期のQOLの評価にSF-36v2日本語版(MOS 36-Item Short-Form Health Survey version2:SF-36v2)10),トラウマティックな出来事およびMDに対する認知的評価に日本版外傷後認知尺度(Japanese Version of the Posttraumatic Cognitions Inventory:JPTCI)22),演奏中の不安(状態不安)および常日頃の不安(特性不安)の評価に新版STAI(State-Trait Anxiety Inventory-Form JYZ:STAI-JYZ)33),抑うつ重症度の評価に日本版ベック抑うつ質問票(Beck Depression Inventory-Second Edition:BDI-II)3),ストレスフルな状況下における対処スタイルの評価にストレス状況対処行動尺度(Coping Inventory for Stressful Situations:CISS)8),動機づけにかかわる因果律志向性の評価に一般的因果律志向性尺度(Japanese Version of the General Causality Orientations Scale:GCOS)35)を用いた.
 調査場所は国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター病院診察室,または上智大学市谷キャンパスであった.調査には開始から終了まで著者が同席し,不明点や記入漏れがないか確認を行った.調査所要時間は,1人につき1時間30分から3時間程度であった.

4.研究法とデータ分析
 量的研究法を採用し,質問紙を用いて調査を行い,データを収集した.データ集計,および分析は国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター病院内でSPSS ver. 25を用いて実行した.有意差の検討にはt検定を用いた.

5.用語の説明―本研究における広い意味でのトラウマ,反応,トラウマティックの意味―
 本研究では,以下に記したとおり,広い意味でのトラウマ,トラウマティックという用語を用いる.
 「広い意味でのトラウマとは,ある体験が,その本人にとってそのときと同じ恐怖や不快感をもたらし続ける現象を指す」11)
 「一般にトラウマ反応というときには,多くの人にとって強い衝撃をもたらすような,日常ではみられない体験だけを指すようにしている.そのような場合であれば,個人の素因ではなく,まさしくその出来事が原因であると考えられるからである」11).なお,本研究では反応がトラウマ反応とは断定できないため,「反応」と記述する.
 上記を踏まえ,「トラウマティック」を,広い意味でのトラウマ性と定義する.

II.結果
1.属 性
 人口統計学的属性および,行動学的属性(平均演奏開始年齢,平均演奏期間,プロフェッショナル演奏家になって以降・MD発症直前・MD発症直後・調査時における1日あたりの平均演奏時間,平均受診医療機関数,症状に気づいてから診断を受けるまでの平均月数)を表1に記した.対象者の性別は男性13名,女性4名,平均年齢は45.4±11.8歳,平均罹病期間は8.2±5.3年,平均発症年齢は37.2±9.7歳であった.

2.対象者プロフィール
 病院および病院以外の治療機関における治療経験,出生状況,調査時の生活状況(仕事内容および経済状況),MD症状の詳細,およびMDによって困難になった演奏技術を対象者プロフィールとして表2に記した.治療経験では,17名全員が病院での治療を経験していた.民間療法利用経験者は14名で,平均利用数は2.2±1.8種類であった.調査時の経済状況は安定8名,不安定9名であった.発症の仕方は緩徐10名,突然7名であった.

3.出来事チェックリスト(LEC)による体験とMD罹患体験
 LEC11)に記載されている出来事の体験の有無と体験回数を表3に記した.LEC11)の回答方法は,体験回数が1回または2回以上のいずれか一方に丸印をつけてもらった.これまでに強いストレスを伴う出来事を体験した者は14名(重複回答あり),体験なしは3名であった.
 続いて,LEC11)をもう1枚用いて,MD罹患が「15その他,殆どの人は体験しないような,ひどくショッキングな出来事」に該当するかどうかを,プロフェッショナル演奏家の1人としてだけではなく一般人の1人として検討のうえ回答してもらった.その結果,該当するが12名(70.6%),該当しないが5名(29.4%)であった.
 LEC11)に記載されている出来事を体験した14名について,MDを含めてこれまでに「もっとも強いストレスとなった出来事」1つを選択してもらった.MD罹患を「強いストレスを伴う出来事」と評価した12名全員が,MD罹患を「もっとも強いストレスとなった出来事」と回答した.MD罹患以外では「1自然災害」および「15その他,ほとんどの人は体験しないような,ひどくショッキングな出来事」が各1名であった.

4.出来事チェックリスト(LEC)の出来事およびMDに対する認知的評価(JPTCI)
 LEC11)に記載されている出来事およびMD罹患に対するJPTCI平均得点と有意差を表4に記した.MD罹患が強いストレスを伴う出来事かどうかを検討するために,これまでにLEC11)に記載されている出来事を体験した14名とMD罹患を強いストレスを伴う出来事と回答した12名について,それぞれのJPTCI平均得点を求め有意差を検討した.その結果,自己に関する否定的な認知,トラウマに関する自責の念でLEC11)に記載されている出来事に対する得点がMD罹患に対する得点よりも有意に低かった(P<0.001,P<0.042).

5.調査時とMD発症周辺期のQOL(SF-36v2)および演奏中と常日頃の不安(STAI-JYZ)
 調査時およびMD発症周辺期におけるSF-36v210)平均得点と各時点の有意差,調査時における演奏中の不安(状態不安)と常日頃の不安(特性不安)についてSTAI-JYZ33)平均得点および有意差を表5に記した.SF-36v2では,日常役割機能(身体),日常役割機能(精神),心の健康において調査時はMD発症周辺期に比べて有意に高かった(P<0.030,P<0.033,P<0.037).STAI-JYZでは,演奏中の不安が常日頃の不安に比べて有意に高かった(P<0.000).

6.抑うつ重症度(BDI-II),対処スタイル(CISS),一般的因果律指向性(GCOS)
 BDI-II3),CISS8),GCOS35)の各平均得点を表6に記した.

表1画像拡大表2画像拡大表3画像拡大表4画像拡大表5画像拡大表6画像拡大

III.考察
 本研究では,プロフェッショナル演奏家におけるMD発症前後のストレスについて心理学的に検討するために,出来事への体験,QOL,感情,認知,動機づけ,対処スタイルに関する質問紙調査を行った.
 まず,LEC11)に記載されている出来事の体験者数は14名(82.4%)で,その約6割が2つ以上の出来事を体験していた.広い意味でのトラウマティックな出来事の生涯経験率は,本邦の大学生で53.5%22),海外では男性60.7%,女性51.2%と報告されていることから17),本研究対象者の体験率は単純に数値だけをみれば高くみえる.しかし,時代によって異なる災害・事故などの発生状況や,文化の違いなど,さまざまな交絡因子があることから,本結果のみから断定することはできない.本研究対象者においては,過去のトラウマの処理状況,トラウマに対する脆弱性などがMDに与える影響は気になる点である7).また,全体の7割以上が,MDを「もっとも強いストレスとなった出来事」と評価したことは重要である.さらに,JPTCIにおいては「自己に関する否定的な認知」と「トラウマに関する自責の念」でMD罹患に対する得点がLEC11)に記載されている出来事に対する得点よりも有意に高かったこと,「自己に関する否定的な認知」「トラウマに関する自責の念」「世界に関する否定的な認知」のすべてにおいて長江ら22)の結果を上回ったことは,MDがトラウマティックなストレスとなりうる裏づけとも考えられた.不安については,常日頃の不安は正常水準であったが,演奏中の不安は62.0±8.1点と高水準であった.調査時の平均罹病期間が8.2±5.3年であることを考え合わせると,自己否定的・自責的な認知的評価,および演奏中の高不安は長期間にわたって維持されることが示唆された.MDのために思うような演奏が困難になるだけではなく,視覚的にも聴覚的にも繰り返し症状に晒され続けたり,聴衆の期待や視線に晒されたりすることによって,身体,心理,社会的な苦痛が繰り返し惹起されるという,プロフェッショナル演奏家という職業上避けることのできない状況が影響しているのではないかと考えられた.また,思い入れのある専門楽器による演奏であるからこそ生じる悲痛な思考や感情が刺激伝達されて症状持続に影響を及ぼしているのかもしれない.症状以外は身体的に問題がないために他者からの理解を得にくいつらさがあることも推測された.ただし,MD罹患をトラウマティックな出来事ととらえていない人も3割程度存在した.MDをどのように認知するかということによって,MD罹患経験のあり様も異なってくるといえる.Ehlers, A.ら7)の研究では,認知的評価によってその後の回復が異なることが示唆されている.われわれは,MD罹患によってトラウマティックなストレスを抱えた状態にある演奏家が少なからず存在することを理解し,MD発症以前の体験も念頭において,安全性に配慮した有効な支援を行ってゆく必要がある.特にMDに関する正しい知識の提供,認知および不安への介入は重要と考える.さらにSF-36v210)の結果から,仕事役割につながる「日常役割機能(身体/精神)」,および「心の健康」において,調査時よりもMD発症周辺期で低いことは,役割機能と精神健康の低下という異変によって心理的・身体的警告が出ている状態とも考えられた.MD発症周辺期における心身の保養も大切であろう.
 一方,このように脅かされる体験であるMDを経験しながらも,MD発症からある程度時間が経過した調査時の抑うつ水準は軽度であった.もともと高い傾向にある開放性が18)34)MDによって阻害されている可能性がありながらも19),ネガティブのみならずポジティブな感情も豊富に経験できるという音楽家のパーソナリティ傾向が19),抑うつを高めにくい,あるいは維持しにくい資源となっている可能性がある.対処スタイルについては,「回避優先」の下位尺度である対人的な「気晴らし」が低いことを除いては平均水準であった8).「気晴らし」の低さは,対人関係を自分の気晴らしのために用いない傾向,あるいはMD罹患後の他者信頼が低いパーソナリティ傾向19)によるものと考えられ,他者を巻き込むことなく1人で悩みを抱え込む傾向や孤独が推測された.動機づけに関しては,内発的に動機づけられやすい傾向を示す自律志向性,外発的に動機づけされやすく外的報酬を得ることに固執する傾向を示すコントロール指向性,動機づけが生じにくく抑うつ傾向を示す動機づけ喪失指向性のすべてにおいて,健常大学生を対象とした田中ら35)の結果とほぼ同様の結果が示され,MD発症からある程度時間が経過した調査時において,明らかな問題は生じていないと考えられた.
 その他,出生状況とMDの関連は見いだされなかった.平均演奏開始年齢は10.7±4.7歳で,Schmidt, A.ら29)の結果と同様にMD発症の臨界期を超えていた25)29).演奏時間は,プロフェッショナル演奏家になって以降に比べてMD発症直後,および調査時が有意に短いことから,MDが演奏活動を阻害していることは明白であった.訪れた医療機関の数は平均3~4ヵ所,多い人では10ヵ所以上を何年もかけて訪れており,1ヵ所の受診で納得のいく診断を得ることが難しい実態が垣間みえた.最初に身体の異変を感じてからMDの診断を受けるまでの期間は,平均52ヵ月以上と長い時間経過があった.症状出現後早期に診断を受けた演奏家が存在する一方で,MD以外の診断を受け,MD診断に至るまでに時間がかかったり,診断を受けることなく演奏活動を継続していた演奏家も存在したことから,適切な診断になかなか巡り合えない演奏家や,自分なりの工夫で長期間演奏活動を継続している演奏家が少なからず存在するという実態が示唆された.MDの診察および診断を受ける際は,ジストニアに詳しい専門医を受診することが大切である26)27).経済状況は,対象者の約半数が不安定であり,MDによる演奏活動の減少や,補償が十分にないという厳しい状況が推察された9).不安定な経済状況によって健康や仕事に悪循環が生じ,心身の負担の増幅につながることが懸念された.
 以上,本研究では,MDを抱えるプロフェッショナル演奏家において,MDが長期間にわたって自己否定的・自責的な認知評価と演奏時の高い不安を維持するトラウマティックなストレスとなりうることが示唆された.先行研究をみると,MDからの心的回復は可能である20)28).またMDによって生じた機能障害は,随意運動に情動,認知,情報/処理,記憶などが関与していることや1)5)12)16)24)先行研究の結果などから20),変化する可能性がある.
 本研究の限界として,対照群を設けての比較研究ではない点,MDの重症度,罹病期間,治療反応性と各結果の関連を検討していない点,演奏者自身の主観的な苦痛の受け止め方に関する質的研究や事例研究と照合できていない点などが挙げられる.今後に向けて,多人数を対象とした調査研究の実施,職業でマッチングした健常母集団対照群を設定した比較研究,質的研究の実施,質的研究と量的研究の比較検討などを行っていく必要があると考える.

おわりに
 本研究で得られた新たな知見は,(i)これまでに何らかの「強いストレスを伴う出来事」を体験した者は14名(82.4%),MD罹患を「強いストレスを伴う出来事」と評価した者は12名(70.6%)でその全員がMD罹患を「もっとも強いストレスとなった出来事」と回答した,(ii)MD発症周辺期における低い「日常役割機能(身体/精神)」および「心の健康」,(iii)MD発症後における高い「自己に関する否定的な認知」「トラウマに関する自責の念」,および演奏中の「状態不安」などであった.これらの結果は,プロフェッショナル演奏家にとってMDが,自己否定的・自責的な認知的評価と演奏中の高い不安を長期間にわたって維持する広い意味でのトラウマティックなストレスとなりうることを示唆する.MD発症周辺期には心身の保養をすること,発症後は心理教育的介入,認知および不安への介入が大切であると考えられた.
 今後,MDで困っている演奏家のために,医学的治療,脳科学的治療,理学療法,教育法,有効な民間療法などに心理支援が組み合わされて,個々の演奏家に応じた統合的な支援が行われるようになることを望む.そのためには,支持的精神療法,認知行動療法,弁証法的行動療法,およびトラウマ療法など心理療法のMDへの応用も積極的に検討される必要があると考える.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 本研究にご参加いただいたプロフェッショナル演奏家の皆様に心より敬意を表し感謝いたします.本研究にご協力をいただいた株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー,上智大学准教授 古屋晋一先生に深謝いたします.本研究は国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター開発費「パーキンソン病をはじめとする神経変性疾患の包括医療に関する研究」(27-4,30-4),同「疾患レジストリ・網羅的ゲノム解析を基盤とした神経変性疾患の融合的・双方向性研究」(3-4)の提供により実施されました.

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