Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第123巻第9号

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特集 統合失調症とはどういうことか
共感の技としての精神医療―医療人類学的視点―
北中 淳子
慶應義塾大学文学部社会学研究科
精神神経学雑誌 123: 576-582, 2021

 精神医学的共感とは一体何を意味するのか.本論では医療人類学的視点に基づいて,第一に,バイオロジー,精神療法,精神病理学が,それぞれどのように異なる共感的まなざしを生み出してきたのかについて論じる.第二に,そのような治療者のまなざしが,当事者の意識のみならず病の経験そのものをも変化させる現象を,「相互作用種」として分析する.第三に,日本の精神科臨床が生み出した共感の形について考察し,神経科学的転回を経たバイオロジーの言葉の変化を考える.最後に,当事者との協働が,今後どのように新たな共感的言語を生み出しうるのかについて考察する.

索引用語:共感, 医療人類学, 精神療法, バイオロジカル・サイカエトリー, 当事者>

はじめに
 精神医学にはどのような共感の作法があるのだろうか.そもそも精神医学的共感とは一体何を意味するのだろうか.医療人類学者として,このことを改めて考えさせられたのは,統合失調症の遺伝子研究を先導してきた糸川昌成が当事者研究に飛び込んだきっかけを聞いたときだった.糸川は,生母の統合失調症を知ってから,苦しみを救いたい一心で遺伝子研究に取り組んできた.その成果を「べてるの家」での講演で,当事者の方々に報告しようと思った際に,果たしてそれをどう伝えればいいのか考え込んでしまったのだという.なぜなら,普段ラボで何気なく使っている科学的な言葉それ自体が,当事者を傷つけてしまう可能性に思い至ったからだ15).糸川だけではない.統合失調症の母に育てられた葛藤や,自ら精神科を受診した経験を振り返ることで,医師・家族・当事者と異なる立場から精神医療を検証する夏苅郁子46)をはじめ,多くの医師や当事者が現在,精神医学の言葉と実践を批判的に検証し直している19).統合失調症をはじめとして,精神障害で苦しむ人々にとって,どういった言葉,どのような臨床実践がより共感的なものとして経験されるのかが問われ始めている.
 精神医学における共感とはどのようなものであるのか.そもそも精神医学に共感は必要なのだろうか.共感(empathy)とは,ドイツ語のEinfühlungの英訳語として1908年に登場した新しい言葉だという38).それにもかかわらず共感は,同情(sympathy)という,18世紀には哲学や倫理学で中心的であった概念に代わり,「自己投入」や「感情移入」「他人の立場に立って考え,相手の痛みをまるで自分のもののように感じとる」ことを示す言葉として,20世紀の医学教育をはじめとして社会的にも広く影響力をもつようになった.ただし医療では,血液検査で病因が確定し,薬で即座に治る疾患であれば,あえて共感的な言葉を強調する必要はない.共感が精神科臨床で特に重視されるのは,バイオマーカーによる客観的診断や完治法が確立しておらず,言葉のやりとりによって診断し,治っていく部分が大きいからだ.自己への違和感や怯えを抱いて精神科臨床を訪れる人々にとって,言語化も難しい不安を医師に理解してもらい,腑に落ちる説明を与えられることはそれ自体治癒的に働く.また,カール・ヤスパースが精神病を了解不能なものと定義づけて以来,医師は五感を用いて,患者の語りがどの程度共感(もしくは了解―英語では了解と共感は両方“empathy”と訳される)可能なものなのかを判断し,診断に役立ててきた.このような共感とは精神医学独自の専門知であり,診断・治療にも不可欠な臨床作法である.
 ただし精神医学は,感情ではなく理性を重視する近代科学のエートスを共有する学として,感情を基盤とした共感の陥穽についても考察を行ってきた.たしかに,怒りや憎しみといった感情は時に理性を凌駕し,冷静な判断を狂わせるため,道徳的・政治的判断の基盤としてはきわめて脆い(「反共感」を提唱するブルームは,ナチス党員がより共感的であったなら,ホロコーストは防げたのかと問う)2).さらに,共感とみえるものが,実は知識不足の思い込みにすぎず,わかってあげるという傲慢さに反転することも稀ではない.兼本浩祐が問うように,理解不在の共感など可能なのかという疑問も生じる25)61).そのような,まやかしの共感が社会的強者から社会的弱者に向けられ,一方的に弱者の代弁といったかたちをとるときには,彼らを劣ったイメージで固定化してしまうことにもつながりかねない62).精神科医とは,「意図せずして―時にはナイーブな善意と誠実さから―患者に『害をなす』ことの多い職業」ともいわれる53).特に統合失調症をめぐっては,その了解(共感)不能性が過剰なまでに強調されることで,逆にそのスティグマをも強化してきた経緯がある.統合失調症の精神科治療の歴史はしたがって,自らがかけた呪いを解くかのように,より共感的な言葉・実践を模索してきた歴史としても読める.負のイメージを乗り越えるような共感の言語がどう生まれ,それはどのように自己を振り返るための作法となりうるのか.また,当事者運動が台頭しつつある21世紀現在34),精神医学の言葉は当事者によってどのように検証され始めているのか.これらの問いについて,医療人類学的視点から考えてみたい.

I.バイオロジー・精神療法・精神病理学における共感
 精神医学教育では,共感はどのように教えられるのだろうか.アメリカの精神科卒後研修の民族誌で知られる人類学者タニア・ラーマンは,アメリカの研修医達がいかに「2つの共感」を学んでいくのかを描き出す39).一方の,バイオロジカル・サイカエトリーで求められる共感とは,身体医学と同様に,精神障害を経験する人を「脳神経疾患に冒された可哀そうな存在」として位置づける.精神病の経験は容易に理解することができないが,それを自然科学的に一旦距離をおいて「対象化」し知的に理解することで,冷静な観察・介入が可能になる.ここでは安易な共感はむしろ戒められ,常識心理学で対処してしまうことで,その裏に潜む器質性疾患の可能性を見落としてしまう危険性が強調される25)63).このような「共感」を用いれば,どれほど常軌を逸した言動に対しても,相手の道徳的責任を問わずに寛容に対応することが可能になる.
 他方の精神療法では,研修医は対象化・知性化とは逆の,同一化・感情移入を学ぶことを徹底的に求められる.精神療法のセッションを通じて,自らの言動が患者をどれほど傷つけ,また言葉が時にどれほどの救いとなるのかを身をもって学んでいく.例えば境界性パーソナリティ障害と診断された人々とのセラピーでは,研修医自身が感情的に巻き込まれ,セッション後,吐くほど追いつめられる様子が描かれる39).未解決の葛藤をつきつけてくる患者に対して,自己分析の足りない研修医は,不安や攻撃性に突き動かされ思わずその場で叱ってしまうといった「行動化」をみせる.そのような自己の未熟さに毎回直面化させられ,痛みを振り返る研修医らは,やがて患者が抱える寂しさや絶望をも感じ取れるようになる.さらに教育分析で「患者」の立場を経験することで,知的な理解を介した「認知的共感」のみならず,感情を通じた「情動的共感」の重要性をも体感していく.つまり,精神科臨床における共感とは,主観性を徹底させることでより深い次元での客観性へと到達する他者理解の技法であり,共感の困難さについて熟考することで,研修医は身体医学とは異なる「精神科医らしさ」を身につけていくのだ32)
 精神分析が大きな影響力をもたなかった日本ではどうだろうか.20世紀を通じて神経症者との対話に基づいた外来精神療法が発展したアメリカ精神医学に対して,日本では精神科病院に長期入院する統合失調症の患者を対象とした精神療法が模索されてきた.さらに,バイオロジーに基盤をおきつつも,言葉を道具として精神病体験を分析する仏・独の精神病理学が戦前に紹介され,戦後実存哲学・現象学の影響のもと日本独自の発展を遂げた.それは統合失調症患者の内面世界にはあまりにも無関心であったバイオロジカル・サイカエトリーへの反省でもあった.その背景には,日本に精神医学が導入された19世紀末の「精神分裂病」概念が,当初進行性麻痺をモデルに創られ,「不治の病」として過剰に悲観的な予後が想定された歴史的経緯があった57).病の経過が観察された場が地域ではなく,重症患者を集めた収容型の精神科病院だったことも災いした.そのような人工的環境が病の予後に負の作用を及ぼす可能性は十分に検討されず,病院での観察結果がまるで「疾病の自然史」であるかのようにとらえられてしまったからだ.また今日では似非科学として糾弾されている「変質論」によって,この病が人間の正常型からの遺伝性病的変異としてとらえられたことの弊害も大きかった.1930年代に松沢病院に勤めていた菅修が精神病者というと「普通人とは全く無関係」な「動物的存在」と見なされるようになったと嘆いているが17),このようなイメージの源泉が,近代的科学言説にあったことは不幸としかいいようがない59).戦後も大規模な施設化,ロボトミーや薬物的拘束をめぐるスキャンダルを経て,そのスティグマはさらに強まっていく.岡崎祐士が指摘したように,その負の遺産は21世紀の臨床現場にも根強く残っている.

 統合失調症は長く慢性進行性疾患と考えられてきたこともあって,今なおそう信じている医療関係者,なかには精神科医も少なくない.悲観的疾病観に基づく説明や治療の実践が生み出す否定的な結果に不良な予後を見て,自らの仮説を確認するという悪循環の形成が少なくなかったのである.50)

 したがって,バイオロジカルな統合失調症論の弊害を乗り越えることは,20世紀後半の精神病理学的探究の原動力となった.特に1960年代以降この領域は優れた病の解釈者を得て,統合失調症者の内的世界を共感可能なものへと翻訳し,独自の言語を生み出してきた.戦前・戦中にすでにこの領域を日本に紹介した村上仁・島崎俊樹・西丸四方の伝統のうえに48),木村敏や宮本忠雄といったヨーロッパの現象学や実存哲学にも精通した医師たちが新しい統合失調症論を次々と生み出した36).彼らは例えば統合失調症者の情緒的交流よりは知性化や抽象化を好む独自の存在様式について論じ,微細な違和感とともに迫りくる何かを畏れつつも憧憬を抱くその両義的心性や,世界の揺らぎに震撼する感覚,啓示によって真理が明らかになる宗教的経験を鮮やかに描きだしていった41).さらに哲学や美学,宗教学との対話のもと,極限状態におかれた人間の可能性,病のもつ創造性や聖性を考察することで,統合失調症体験の文化的意味をも書き換えた12)

II.相互作用種としての精神障害
 ではなぜ,初期の精神病理学論は,必ずしも精神障害のスティグマを払拭する方向には働かなかったのだろうか.当時の社会的背景や制度的要因のほうがはるかに大きい一方で,この視点の限界について,科学哲学者のイアン・ハッキングの「相互作用種」論をもとに考えてみたい.科学哲学では,科学の対象には2種類があることが論じられてきた.バイオロジカル・サイカエトリーが基盤とする自然科学の対象とは通常,観察者の関与いかんにかかわらず自然界に存在する「自然種」をその対象として想定している.例えば「原子」のように,これは誰がどうそれを名づけ,どう呼ぼうと変化することはなく,ある程度普遍的に観察できる現象といえる.統合失調症論においても,医師はこの病を観察者の外に存在するモノ―「自然種」(ハッキングはこれを無反応種と呼ぶ)―としてとらえ,その原因を追究しようとしてきた.その際に,医師はなるべく自分自身の感情や主観を排し,客観的・中立的に観察しようとしてきたといえる4).しかし,精神障害の経験とは,自然科学が理想とする自然種モデルからは逸脱する,科学者にとってはかなり厄介な現象だ.なぜなら,精神障害を患う人々とは原子とは異なり,「心」をもつ存在である.したがって,その病も生物学的原因に基づいた疾患としての「無反応種」という性質をもつと同時に,観察者や社会のまなざしによって容易に変化してしまう「反応種」―もしくは「相互作用種」―という特徴を帯びてしまうからだ(なお,ハッキングのこの論は影響力が大きく,その概念の厳格な意味をめぐってはさまざまな哲学的論争が起きたが,ここでは臨床分析への有用性に着目したい)10)11)
 相互作用種においては,観察者(医師)が病の現象をどう名づけ,どのような共感のまなざしを向けるのか―また観察される側がどういうふうにまなざされていると感じるのか―によって,病の経験が大きく変わりうる.精神科医/医療人類学者ロバート・バレットは,精神科診療の会話分析から,医師との対話を通じて患者がいかに統合失調症らしさを身につけていくのかを明らかにしている1).患者は,医師らに発症経緯を説明するなかで,たとえ自分にとっては大切でも医師が興味を示さなかった事柄(友人の死や宗教的体験)を徐々に削ぎ落とし,関心を示してもらえた部分(幻覚・妄想)に焦点をあてて語るようになる.病的な体験に焦点化するあまりに,さらに多種職スタッフに,同じ語りを何度も繰り返し,内面化していく過程で,患者は典型的な「統合失調症患者」となる.しかしカルテに病状が記録される段階では,こういった相互作用性は一切考慮されず,対話の産物としての統合失調症は,独立した自然種へと転換され,医師の統合失調症観を補強していってしまう.
 つまり,初期の精神病理学に欠けていたのは,相互作用性のより明確な認識や,当事者からの声を活かすような検証の仕組みだったといえる.精神病理学は当初,当事者との対話や,彼らの自己のケアのためというよりは,医師による科学的観察や知的洞察の方法として発展したため,抽象度の高い言語による対象化がもつ疎外的作用については十分に認識されなかった40).特に自己イメージが確定していない思春期・青年期に発症し,破壊的なまでに混沌とした経験に放り込まれるような統合失調症を経験する人にとって27),精神科病院という閉じられた空間での医師のまなざしは,彼らの自己意識を規定し,書き直してしまいかねないほどの影響力をもつ.したがって,1960年代末からの反精神医学運動でも批判されたのは,診察を通して「医者と共同で妄想をつくりあげ,精密化して」いく危険性であった45).著者が1990年代に精神科で調査を始めた際にも,その弊害を懸念する声はいまだ根強かった.病理を語り続けることで健康な部分が侵食され「空っぽになった」患者たちのその後を診続けている医師たちにも出会った.初期の精神病理学の言葉は,それまでの専門用語―それは糸川が指摘するように,ドイツ語や英語から翻訳された,「人格荒廃」「感情鈍麻」「遺伝負因」といった独自の堅さや距離感を醸し出す―がもたらす了解不能性を十分に乗り越えるものではなかった.時に過剰なまでに病の異質性・他者性を強調する論は,「『諦念』『覚悟』『使命感』が奇妙に入り混じった厳粛さをもつ精神科的疾病観」を強める作用をもたらしたのかもしれない.

III.日本の統合失調症臨床における共感
 どうすれば精神科の言葉を当事者にとって違和感がなく,共感可能なものに変えられるのだろうか.反精神医学時代以降の精神病理学・精神療法界では,自己批判を乗り越える試みがさまざまになされてきた.精神分析では,外来語を翻訳した専門用語が独自の現実を創り出すことの弊害が指摘され,例えば神田橋條治は,「抵抗」「防衛」と言われれば思わずその抵抗を打ち破りたくなるとして,言葉が紡ぎ出す無意識の力を論じ,それぞれ「馴染めぬ」「工夫」と言い換えている21)23).土居健郎らによる日常語を用いた臨床や6),北山修らの日本語臨床も31),専門用語をより文化親和的なものへと変えていく試みであったといえる.また,自己が外に漏れていく経験に怯える患者にとって医師にすべて明かさずに守ることの重要性を説いた土居の「秘密」論や5),神田橋の「自閉の利用」20)をはじめ,この時期の日本の精神分析家による統合失調症論は,世界的にもきわめて独自で豊かな知見をもたらしている.他方,精神療法的視点を精神病理学に織り込み,患者の語りを傾聴し書き留める「秘書」としての医師の役割を論じた加藤敏をはじめ28),統合失調症の時代的意味を探求する鈴木國文58),内海健60)による新時代の精神病理学は知識人を魅了し続けている.その最大の貢献は統合失調症の異質さを矮小化することなく,病の意味世界に光をあてることで29),自己とは異なる他者への共感の可能性を問い続けることにあるだろう33)
 さらに従来発病機制に注目が集まりがちであった統合失調症の症候学にも変化があった.患者の回復過程に注目することで治療学を再構築した中井久夫は,一見無為にさえみえる患者の心のなかで起こっている,希望と絶望の間での壮絶な格闘を「繭の時期」「こころの産毛」「焦りのかたまり」といった平易な言葉で表現し,回復へと向かう人々の心的ダイナミズムをとらえている44).「幻聴がなくなって寂しく感じないかという配慮,妄想を頭から否定するのは相手に対して礼を失するという指摘,二次疾病利得と呼ばれるものは,治ってもかまわないと思える状況が整っていないことの謂い」49)といった中井の治療論は,医師の統合失調症像をより柔らかなものに変えた.また,精神病のつらさを,身体の疲れ,頭脳の疲れだけでなく,気疲れで表す中井の「高度な平凡性」に支えられた言葉は53),当事者にとっても呑み込みやすく,精神障害を共感可能なものにした.
 日本では,言葉のもつ毒性,「被爆性」44)が意識されるなか,伝統医療の触診を応用した身体的治療や,非言語的な場の形成が模索されてきた点にも着目したい22).カナダの精神科を数年間観察した後に,日本の精神科で調査を行った著者にとって,「身体から入って心に及ぶ.あるいは心から入って身体に及ぶ」54)とするその心身一元論的なアプローチはきわめて新鮮に映った18).研修医達は,つらかったこと,家族の葛藤などを聞いたら,便通,食欲,睡眠などを聞いて面接を終えるように教えられていた.さまざまな大学病院,精神科病院,クリニックでは,「心」にとらわれている患者の意識をより実感しやすい「身体」に向けることで,スムーズに回復に導いているいく人もの医師に出会った.患者側も身体への自己センサー・自己制御感を高めることで,確実に主体性を取り戻していくかのようだった.特に,統合失調症の回復期において自律神経の変化に着目し,脳だけでなく全身の病としてとらえる視点は,患者にとっても受け入れやすい自己のケアとして作用する.
 これは高次の精神に対して,身体を低いものと見なす欧米型の精神療法の伝統とは大きく異なる.古典的精神分析においては,人間を動物から区別するとされる「言葉」を駆使し,精神/理性によって身体/感情を制御することこそが重視される.対して,日本の臨床で培われていたのは,身体から心に働きかけるオータナティヴな哲学だった30).このような脳の養生を心身両方の変化から語り合うアプローチは患者に対しても共感的に働くだけでなく,伝統的治療文化の湧水を掬い取ることで患者からも思わぬ力を引き出しているようにみえた42)
 このような心と脳の養生論をバイオロジカルな基盤をもって語り直すことで,今後,精神医学全体の言葉をより共感的なものへと変えていくことができるだろうか8)24).その点で着目するべきは,「神経科学的転回」と呼ばれる神経科学の台頭を経て,バイオロジカル・サイカエトリーの言葉自体が大きく変容している可能性だ43).その背景には,1960年代以降,生きている脳の機能を可視化する脳画像技術が進むことで,脳の理解自体が,20世紀前半の遺伝的悲観論からは遠く離れ,より力動的な言葉で語られ始めている経緯がある52).さらに,向精神薬の普及は,心も神経伝達物質でいかようにも変化しうるとする「神経化学的自己」的人間観を広めることになった51).他方,うつ病や発達障害,認知症といういわゆる3Dといわれる精神障害が一般に知られるようになるなかで,正常と異常の質的断絶が想定されるのではなく,むしろ誰もがその両極の量的連続性のどこかに位置づけられるとする,精神障害の「スペクトラム化」も進んでいる.治療法としても発達障害の療育や言語聴覚士による認知症リハビリが浸透するなど,脳の可塑性を活かす取り組みも普及しつつある13).このようなバイオロジーの言葉は,精神分析のように無意識で発見される「真の自己」を想定しないためか,自己意識を深いところで侵食しない(ただし,それだけに浅い理解の次元でとどまる)可能性も議論されており,脱スティグマ化や当事者の自己像への影響に関しては,今後さらなる検証が待たれる37)

おわりに
 日本では,精神科の患者像が現在大きな転換期を迎えている.以前の臨床の中心は若くして発症し,社会的アイデンティティを築く間もなく長期間施設に入院させられた統合失調症患者にあったためか,彼らの繊細な内的世界をどう守り,その思いをどう代弁するのかが重視されてきた.しかし現在増加しているうつ病患者の大多数は,社会人としての確固たるアイデンティティをもち,適応的に生活してきたなかで精神科を受診する人々である.彼らは受動的患者の地位には満足せず,自ら情報を集め,治療に関しても自律的な意思決定を当然視するユーザーだ3).彼らを前にして,精神科医たちも,一方的な共感ではなく,当事者の意思をより尊重する対話のあり方を模索し始めている.オープンダイアローグといった,医師患者関係を超えた集団での相互フィードバックを保障する試みは,複数の参加者による共感のダイナミズムを治療に活かしている55)
 他方,当事者発信も共感の作法を根本的に変えつつある.発達障害の領域では,彼らの「感覚鈍麻」とみえる行動が,実は「感覚過敏」により過剰に入ってくる信号から身を守るものであったことが明らかになるなど,当事者発信は症候学の再検討をもたらした26).べてるの家や熊谷晋一郎に代表される当事者研究の台頭は,「言語の回復運動」を生み出し,「統合失調症サトラレ型」「統合失調症全力疾走型」といった自己の名づけは,精神医学の言葉をより自己親和的なものへ変えている14).当事者を対等な研究パートナーと位置づけるコプロダクション研究や35)57),クラインマンの「病いの語り」を紹介した江口重幸らによる医療人類学的探究も,独自の対話作法を築きつつある7).今後どのような言葉や実践が当事者にとって共感的であるのかを問うために,臨床を当事者との協働検証の場へと変えていくことが求められるだろう9)16)47).そして,そのように開かれた科学的探究としての精神科臨床が,神庭重信が日本精神神経学会のパラダイムシフト班において推進するところの「当事者学」の基盤として,新たな共感の可能性を開いていくだろう.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 本論の調査は科研費基盤研究(C)19K01205と(B)19KT0001の助成を受けている.有益なコメントをいただいた糸川昌成先生と,慶應義塾大学社会学研究科,狩野祐人氏・小林尚矢氏に心からの感謝を申し上げる.

文献

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14) 石原孝二編: 当事者研究の研究 医学書院, 東京, 2013

15) 糸川昌成: 精神科医として, 科学者として, 子どもとして. 精神医学, 57 (11); 973-980, 2015

16) 糸川昌成: 当事者は精神医学・医療に何を求めているのか―サイエンスとアート―. 福岡行動医学雑誌, 26 (1); 45-48, 2019

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18) 神庭重信: こころと体の対話―精神免疫学の世界―. 文藝春秋, 東京, 1999

19) 神庭重信編集主幹, 笠井清登編, 松下正明監: 統合失調症 中山書店, 東京, 2020

20) 神田橋條治: 発想の航跡. 岩崎学術出版社, 東京, p.194-228, 1988

21) 同書. p.355

22) 神田橋條治: 精神科養生のコツ. 岩崎学術出版社, 東京, 1999

23) 神田橋條治: 技を育む―精神医学の知と技―. 中山書店, 東京, p.73, 2011

24) 兼本浩祐: 精神科医はそのときどう考えるか―ケースからひもとく診療のプロセス―. 医学書院, 東京, 2018

25) 兼本浩祐: 発達障害の内側から見た世界―名指すことと分かること―. 講談社, 東京, 2020

26) 狩野祐人, 北中淳子: エビデンスの政治学―科学の知と当事者の知の架橋に向けて―. 精神医学の科学的基盤 (加藤忠史編). 学樹書院, 東京, p.172-184, 2020

27) 笠井清登: 総合人間科学としての思春期学. 思春期学 (長谷川寿一監, 笠井清登, 藤井直敬ほか編). 東京大学出版会, 東京, p.1-17, 2015

28) 加藤 敏: 統合失調症の語りと傾聴―EBMからNBMへ―. 金剛出版, 東京, 2005

29) 加藤 敏: 精神病理・精神療法の展開―二重らせんから三重らせんへ―. 中山書店, 東京, 2015

30) 北中淳子: うつの医療人類学. 日本評論社, 東京, 2014

31) 北山 修編: 「自分」と「自分がない」 星和書店, 東京, 1997

32) 古茶大樹: 臨床精神病理学―精神医学における疾患と診断―. 日本評論社, 東京, 2019

33) 古茶大樹: 標準的精神科医が知っておくべき精神病理学. 精神科治療学, 36 (2); 145-150, 2021

34) 熊谷晋一郎編: 当事者研究と専門知―生き延びるための知の再配置―(臨床心理学増刊第10号) 金剛出版, 東京, 2018

35) 熊倉陽介: 精神保健サービスにおける患者・市民参画(patient and public involvement: PPI). 統合失調症(神庭重信編集主幹, 笠井清登編, 松下正明監). 中山書店, 東京, p.238-244, 2020

36) 黒木俊秀: わが国の精神医学の来し方行く末を思う―平成から令和へ―. 臨床精神医学, 49 (2); 145-150, 2020

37) 櫛原克哉: 精神医療技術を通じた自己形成に関する社会学的研究―薬物療法・認知行動療法の利用者の観点から―. 社会学評論, 65 (4); 574-591, 2015

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39) Luhrmann, T. M.: Of Two Minds: The Growing Disorder in American Psychiatry. Knopf, New York, 2000

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41) 宮本忠雄編: 分裂病の精神病理2 東京大学出版会, 東京, 1974

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49) 大久保圭策: 中井先生の臨床作法. 中井久夫の臨床作法(こころの科学増刊). 日本評論社, 東京, p.73, 2015

50) 岡崎祐士: 統合失調症の過去・現在・未来. 統合失調症 (日本統合失調症学会監, 福田正人, 糸川昌成ほか編). 医学書院, 東京, p.7, 2013

51) Rose, N.: The Politics of Life Itself: Biomedicine, Power, and Subjectivity in the Twenty-First Century. Princeton University Press, Princeton, 2007 (檜垣立哉監訳, 小倉拓也, 佐古仁志, 山崎吾郎訳: 生そのものの政治学―21世紀の生物医学, 権力, 主体性―(新装版). 法政大学出版局, 東京, 2019)

52) Rose, N., Abi-Rached, J. M.: Neuro: The New Brain Sciences and the Management of the Mind. Princeton University Press, Princeton, 2013

53) 斎藤 環: 常識としての「小文字の精神療法」. 中井久夫の臨床作法(こころの科学増刊). 日本評論社, 東京, p.68, 2015

54) 同書. p.71

55) 斎藤, 環: オープンダイアローグがひらく精神医療. 日本評論社, 東京, 2019

56) Sugiura, K., Mahomed, F., Saxena, S., et al.: An end to coercion: rights and decision-making in mental health care. Bull World Health Organ, 98 (1); 52-58, 2020
Medline

57) 鈴木晃仁, 北中淳子編: 精神医学の歴史と人類学 東京大学出版会, 東京, 2016

58) 鈴木國文: 精神病理学から何が見えるか. 批評社, 東京, 2014

59) 内村祐之: 日本精神医学の過去と将来. 精神経誌, 55 (7); 705-716, 1954

60) 内海 健: さまよえる自己―ポストモダンの精神病理―. 筑摩書房, 東京, 2012

61) 内海 健: 自閉症スペクトラムの精神病理―星をつぐ人たちのために―. 医学書院, 東京, 2015

62) Worthen, M.: The Trouble with Empathy: Can We Really Be Taught to Feel Each Other's Pain? New York Times, 2020 (https://www.nytimes.com/2020/09/04/opinion/sunday/empathy-school-college.html) (参照2020-11-07)

63) 山下 格: 誤診のおこるとき―精神科診断の宿命と使命―(新装版). みすず書房, 東京, 2015

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