Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第123巻第6号

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特集 同意取得が困難な事例を対象とした症例報告や研究における問題点と課題
「遺伝負因」の終焉から当事者・家族と進めるゲノム医療へ―ゲノム解析・遺伝カウンセリングに携わる臨床遺伝専門医の立場から―
石塚 佳奈子
名古屋工業大学保健センター
精神神経学雑誌 123: 342-348, 2021

 遺伝による偏見や差別は精神科で特に配慮したい領域である.最近のレビューによると,遺伝要因のような生物学的説明はスティグマを軽減するとも助長するともいえない.著者が行ったアンケート調査で,一般成人の3分の2,精神科医療従事者の8割強が遺伝学的検査には肯定的だった.スティグマの形成過程を考えると,遺伝が社会からの差別を助長する懸念は,精神科医療従事者の態度次第で軽減しうるように思われる.そこで,ほとんどの精神疾患にかかわる多因子形質の特徴について,「遺伝率」と「平均への回帰」という統計学の概念を用いて概説した.本稿を通じてゲノム情報の中立性と偶然性,さらには精神疾患の家族歴を「遺伝負因」と呼ぶことの違和感が共有できたら嬉しい.

索引用語:スティグマ, 多因子疾患, 遺伝率, 平均への回帰, ポリジェニックリスクスコア>

はじめに
 「究極的に,医学における遺伝学は,遺伝学の発展のためではなく,人々の健康を維持・増進させ,苦痛を取り除き,人間の尊厳を強化することのためにある.人類遺伝学・ゲノム学の知識と技術の進歩が,責任を持って,公正に,そして人道的に使われることを確実にすることが,将来の医療の専門家を含むすべての社会の人々が直面する課題である.」8)

 ゲノム解析は,出生前スクリーニング,がん化学療法の最適化,症候性疾患の診断などさまざまな臨床分野で日常的に用いられている.スティグマや倫理面に配慮したうえで,臨床に有用なら精神科領域でもゲノム情報を活用できるに越したことはないが,精神科ではことさらにスティグマの懸念が大きい6)10)
 精神疾患の家族歴を意味する「遺伝負因」という用語は,専門医や精神保健指定医を取得するためのレポートで頻用されてきた.若い時期のこの経験が遺伝への否定的な姿勢につながることを心配するのは杞憂だろうか.著者は精神科研修のごく初期にこの用語を目にして,精神疾患の家族歴はそれほど明確に負の要素なのかと不思議に思った.家族歴は最も確立されたリスク予測因子だが,身体疾患において「うちは高血圧家系だ」「がん家系だ」と表現されることはあっても,負因とは呼ばない.一般成人対象のアンケート調査でも,全面的な肯定意見は多くなかった(図1a:質問文は「遺伝負因という用語にどんな印象をもちますか.精神科の病気をもつ患者さんのご家族にも精神科の病気がある場合に遺伝負因と呼ぶことがあります」).「その他」を選んだ人のほとんどは,あえて「負」を用いることの疑念を記した.呼称の影響力をよく知っているはずの精神科において,「負因」という表現はそろそろやめにしないか.
 本稿では,遺伝が精神疾患のスティグマに影響するのか,どのように影響しうるかを論じる.続いて,精神疾患にかかわるゲノム情報の中立性と偶然性を概説する.本稿を通じて精神疾患の家族歴を「遺伝負因」と呼ぶことへの違和感が共有できたら嬉しい.

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I.ゲノム解析・ゲノム医療は精神疾患のスティグマに影響するのか,どのように影響しうるか
 精神疾患のゲノム研究に対しては,しばしば「精神疾患のスティグマを助長する,ゲノム解析なんてとんでもない」といった批判がなされる.他方,「ゲノム解析でわかることがあるなら明らかにしてほしい,ぜひ研究に参加したい」という積極的な意見もある.世間や精神科医療従事者は,精神疾患の遺伝学的検査にどのような考えをもっているのか.著者は,名古屋大学医学部生命倫理審査委員会の承認を得て意向調査を行った(試験番号2019-0514「精神科領域における遺伝学的検査と遺伝カウンセリングのニーズに関する研究」).一般成人を対象とした調査は2020年7月,20~69歳の男女9,270人に配布して1,846人から回答を得た(回収率20%).詳細は文献4)を参照されたい.一般成人の3分の2は,精神疾患の遺伝学的検査が可能なら受けたいと回答した(図1b).実際の質問文は「もしあなた自身が精神科の病気になった場合,あなた自身の体質や病気のなりやすさがわかる遺伝学的検査があったら,あなたは受けたいと思いますか.あなたの考えにいちばん近いものを選んでください.現在は,からだの設計図(遺伝子)の変化と精神科の病気の関係は複雑でわかっていないことが多く,診断や治療のための遺伝学的検査は行われていません」である.明確に拒否的だったのは13%,わからないと回答したのは23%であった.自由記載欄は遺伝の話題にとどまらず,精神疾患について正しく知りたい,身内の精神疾患でつらかったのは病気の症状以上に周囲からの冷たい対応だったので偏見への対策をしてほしい,身内が自死しており,精神科医療のよりよい発展を願って調査に協力した,といった精神科医療への切実な要望が寄せられた.また,精神疾患の人を怖いと感じる,距離を取りたくなる,という偽りのない意見も挙がった.精神科医療従事者を対象とした調査は,2020年5月から10月にかけて,名古屋大学精神医学教室員を中心に,本稿の元となったシンポジウムの指定討論者であった夏苅郁子先生にお声がけいただき,そのシンポジウムをご覧いただいた先生方にもご回答いただいたものである(図2).全体の8割ほどが遺伝学的検査に肯定的で遺伝学の知識を得ることに関心を示した一方,遺伝学的検査に否定的な意見は5%にとどまった.自由記載には,ゲノムの知識はあったほうがよいが臨床には直結しないのではないか,用語としての「遺伝」がもつ継承のイメージが払拭できないと話が進まないのではないかなど,遺伝の話題を提供する立場で重要な視点を多数ご提案いただいた.
 精神疾患への偏見に対する解釈は大きく2つに分けられる.1つは,病態のわからなさが問題であるから,生物学的な機序,バイオマーカーやゲノムの関与を明らかにすれば正しく理解されて偏見は減るはず,という考えである.もう1つは,遺伝やゲノムで説明がつくことは優生思想につながり偏見を助長する,という考えである.今のところ,精神疾患における生物学的な説明が有効か有害かについて一貫した見解はない11).わが国で行われた無作為化比較試験では,生物学的説明のスティグマ軽減効果は心理社会的説明と同程度だった9)
 仮に遺伝がスティグマに影響するのであればどのように関与するのか.スティグマは,それを与える立場の人と,対象となる人がいて初めて成り立つ概念である.図3にスティグマの基本的な社会的構造,過程と構成要素を示した13).この図を精神疾患の遺伝にあてはめてみる.一般社会が精神疾患の遺伝に否定的な考えをもち,当事者の社会参加の機会を奪うなど不当な差別を行うことは,当事者家族から報告されている15)(=差別をした経験).この状況を精神科医療従事者が黙認すると,当事者を社会から排除する状態が容認されることになる(=スティグマの支持).社会がこの状況に慣れ,差別の構造は固定化する(=スティグマの受容).つまり,精神科医療従事者が精神疾患の遺伝要因に否定的な認識をもつことは,スティグマを支持することにほかならない.これはいじめの構造に似ていないだろうか.一部の人が特定の子をいじめると,周囲もその子を排除するようになる(=差別をした経験).いじめられた子が登校しなくなることを教師も黙認する(=スティグマの支持).最近の文部科学省は,不登校児に必ずしも再登校を促さず,別の場面を提供することを推奨している(=スティグマの受容).多様性への対応として学校以外の場所が用意されるのは,よいことではある.しかし,いじめられた子にとって,本来の社会参加を制限され(=経験したスティグマ),適応指導教室や相談室で過ごすことを受け入れざるをえず(=知覚されたスティグマ),自己の価値が低く感じられて無気力になる(=セルフ・スティグマ),といった否定的な経験になっていないだろうか.精神疾患をもつ人に対して社会参加の機会を奪う一般社会を精神科医療従事者が暗に支持してきたことがスティグマ形成を助長したところに介入の余地があると考えれば,遺伝やゲノムが社会からの差別を助長する懸念は,われわれ精神科医療従事者の態度次第で軽減しうることのように思う.

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II.精神疾患にかかわるゲノム情報の中立性と偶然性を正しく理解する
1.「遺伝率」と「平均への回帰」で親世代から子世代に継承するゲノム情報の影響を考える
 しばしば家族そろってかかりつけの患者のことがある.このことから,精神疾患には強固で一意的な遺伝要因があると誤解する医療関係者は少なくない.強固で一意的な遺伝要因による表現型は,ある・なしで判断できるはずであるが,ほとんどの精神疾患は重症度が連続的である.これは,たくさんの要因が関与する多因子疾患の特徴である.多因子がかかわる表現型は集団として正規分布すると仮定される.集団で正規分布する表現型は,閾値モデル,つまり一定の値以上・以下で診断基準が決まり,境界値を少し変えると大幅に患者数が変化する.精神疾患の診断に境界域やグレーゾーンが多いのはこのためであり,遺伝が規定する体質はそれほど強くなくても,共通の環境要因の影響を受けると家族そろって罹患する場合がある.
 ある集団の正規分布をどれだけ特定の表現型寄りにするかの指標には「遺伝率」が用いられる.しばしば個人の疾患発症における遺伝の関与を示す割合と誤用されるので注意したい().遺伝率はもともと育種や品種改良で「実がたくさんつく」「病気に強い」など,特定の形質がどれほど次世代に継承するかを示す概念をヒトの表現型に適用したものである.遺伝率が100%未満であることは,遺伝が規定する要素は親世代よりも子世代の集団のほうが平均に近づきがちなことを意味する(図4).同様の現象は「平均への回帰」として,Galton, F.が今から100年以上前に発表した2).集団として,高身長の親をもつ子の身長平均は親集団より低く,低身長の親をもつ子の身長平均は親集団より高い.親世代の身長が平均から離れるほど子世代の身長は平均寄りに分布することが観察される.遺伝率も平均への回帰も,表現型の強い親の子はより突出した表現型をもつことを期待して検討されたものであろう.しかし,優生思想が思想で終わったように,平均からかけ離れた表現型は偶然や予期できない要因の影響が大きく,必ずしも子世代には継承されない.統合失調症を例にすると,遺伝子の共有率ほど発症一致率は高くない.そのうえ,関係が少し遠くなると一気にリスクが下がる3)図5).これが遺伝率の概念や平均への回帰から説明できる多因子疾患の特徴である.余談だが,有病率1%・遺伝率70%の表現型(統合失調症や自閉スペクトラム症が該当)で第3度近親以内に同じ表現型を示す人がいる割合は,理論上25%程度である14)

2.個人のゲノム情報で疾患のリスクを予想できるか
 従来,最も有用な予測因子は家族歴である.ただし家族歴は必ずしも正確に把握できない.それなら,個人のゲノム情報で特定の形質が集団分布のどのあたりに位置するかを算出できないか.これはポリジェニックスコア(polygenic score:PS),疾患に関連するものはポリジェニックリスクスコア(polygenic risk score:PRS)と呼ばれ,ヒトのゲノム30億塩基対のうち,表現型との関連が示唆される数十から数千ヵ所のひとつひとつに重み付けをして算出する.一例としてうつ病のPRSの研究を示す7).31歳までにうつ病を発症した群とそうでない群を比べると,PRSが小さい群と大きい群のハザード比が2.55,PRSが高い群はリスクが1.5倍となった(図6).すぐに活用されるとは考えにくいが,将来的には,健康診断でハイリスク群を抽出したり,非特異的な症状を呈する患者のいずれの疾患リスクが高いかを算出したりといった臨床応用が期待される1)12).海外のサイトには個人のゲノム情報を入力するとさまざまな表現型のPSを算出するものもあるが,PSは人種の影響を受けるため,アジア人の予測精度は低い1).精度を高めるには,わが国の当事者,社会の参加が必要になる.
 ここまで多因子疾患におけるゲノム情報のとらえ方を中心に述べてきた.知的能力障害をはじめとして精神疾患の発症リスクが一般より高い希少疾患に脆弱X症候群や22q11.2欠失症候群などが知られるが,本稿では割愛する.

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おわりに
 精神疾患は半数が14歳まで,3分の2は24歳までに発症するともいわれる5).若年発症するからこそ,ゲノムが規定する体質への懸念を抱くのは当然であり,遺伝の話題には丁寧に対応してほしいと思う.本稿には直接関係ないかもしれないが,発症好発時期である10代前半の患者に対する精神科初期対応の手薄さが気がかりである.頼る先を求める当事者家族に対して「うちでは中学生は診ません」と門前払いすることが社会的排除の体験,ひいてはスティグマを与えてしまってはいないかと危惧している.また,従来診断に対してhighly sensitive person(HSP)を主張する患者の多さは,精神疾患の診断名それ自体のスティグマを反映していないか.「正しい」診断名を受け入れるべきとする考えのなかにも差別意識が垣間見えるのは深読みだろうか.

 本文中のアンケート調査はJSPS科研費20K16625の助成を受けた.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 第116回日本精神神経学会学術総会大会長の矢部博興先生,本シンポジウム座長の久住一郎先生,尾崎紀夫先生,貴重な発表の機会をありがとうございました.本シンポジウムをご覧いただきました先生方,やきつべの径診療所・夏苅郁子先生,名古屋大学精神医学教室員をはじめとする多くの方々の調査協力,ご支援,ご助言につきまして,この場を借りて御礼申し上げます.

文献

1) Baselmans, B. M. L., Yengo, L., van Rheenen, W., et al.: Risk in relatives, heritability, SNP-based heritability, and genetic correlations in psychiatric disorders: a review. Biol Psychiatry, 89 (1); 11-19, 2021
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2) Galton, F.: Regression towards mediocrity in hereditary stature. Journal of the Anthropological Institute of Great Britain and Ireland, 15; 246-263, 1886

3) GottesmanI. I: Schizophrenia Genesis: The Origins of Madness. WH Freeman/Times Books/Henry Holt & Co, New York, 1991

4) Ishizuka, K.: Preliminary investigation of public perspectives towards psychiatric genetics in Japan. Asian J Psychiatr, 55; 102519, 2021
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5) Kessler, R. C., Berglund, P., Demler, O., et al.: Lifetime prevalence and age-of-onset distributions of DSM-IV disorders in the National Comorbidity Survey Replication. Arch Gen Psychiatry, 62 (6); 593-602, 2005
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6) Lane, N. M., Hunter, S. A., Lawrie, S. M.: The benefit of foresight? An ethical evaluation of predictive testing for psychosis in clinical practice. Neuroimage Clin, 26; 102228, 2020
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7) Lewis, C. M., Hagenaars, S. P.: Progressing polygenic medicine in psychiatry through electronic health records. JAMA Psychiatry, 76 (5); 470-472, 2019
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8) Nussbaum, R., Mclnnes, R., Willard, H.: Thompson & Thompson Genetics in Medicine, 8th ed. Elsevier Health Sciences, Philadelphia, 2015 (福嶋義光監訳: トンプソン&トンプソン 遺伝医学第2版. メディカル・サイエンス・インターナショナル, 東京, 2017)

9) Ojio, Y., Yamaguchi, S., Ohta, K., et al.: Effects of biomedical messages and expert-recommended messages on reducing mental health-related stigma: a randomised controlled trial. Epidemiol Psychiatr Sci, 29; e74, 2019
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10) Rees, E., Owen, M. J.: Translating insights from neuropsychiatric genetics and genomics for precision psychiatry. Genome Med, 12 (1); 43, 2020
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11) Thornicroft, G., Mehta, N., Clement, S., et al.: Evidence for effective interventions to reduce mental-health-related stigma and discrimination. Lancet, 387 (10023); 1123-1132, 2016
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12) Wray, N. R., Lin, T., Austin, J., et al.: From basic science to clinical application of polygenic risk scores: a primer. JAMA Psychiatry, 78 (1); 101-109, 2021
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13) 山口創生, 木曽陽子, 米倉裕希子ほか: 精神障害に関するスティグマの定義と構成概念―スティグマに関する研究の今後の課題―. 社会問題研究, 62 (141); 53-66, 2013

14) Yang, J., Visscher, P. M., Wray, N. R.: Sporadic cases are the norm for complex disease. Eur J Hum Genet, 18 (9); 1039-1043, 2010
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15) 全国精神保健福祉会連合会: 精神障害当事者の家族に対する差別や偏見に関する実態把握全国調査報告書. 2020 (https://seishinhoken.jp/files/view/articles_files/src/91dda6c67d32d0cb9721d0277030a526.pdf) (参照2021-04-14)

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