Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第123巻第4号

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特集 「共同意思決定」を生む対話についての検討―患者の権利,意思とはなにか―
人権としてのハウジングファースト―共同意思決定の基盤としての権利擁護―
熊倉 陽介
東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野
精神神経学雑誌 123: 186-191, 2021

 精神科医療の現場では,共同意思決定が重要視されてきている.共同意思決定の実践のためには,具体的な工夫が求められる.著者らは,「質問促進パンフレット」と「診察サプリ」という共同意思決定支援ツールを作成した.共同意思決定を実践するための基盤として,権利擁護の視点を合わせ持つ必要がある.ハウジングファーストは,近年の精神保健サービスにおけるパラダイムシフトの1つである.ハウジングファーストでは,住まいを得ることと,治療を受けることを分離・独立して提供する.住まいは基本的な人権であり,たとえ治療を受けなくても,住まいは失われてはならない.たとえ患者が医師と共同意思決定することを拒んだとしても,住まいをはじめとした人権が侵害されてはならない.

索引用語:共同意思決定, ホームレス, ハウジングファースト, 人権, 権利擁護>

はじめに
 本稿の目的は,共同意思決定(Shared Decision Making:SDM)の方法について検討するとともに,それを推進するうえで,どのような点に留意すべきか,批判的に考察することである.まず,精神科医療の領域においても認識や実践が進みつつある共同意思決定について,著者らが開発した共同意思決定支援ツールの紹介を通して概説する.そのうえで,共同意思決定を実践するための基盤として,権利擁護の視点を合わせ持つことが重要であることについて述べ,その具体的な方法論の1つとして,ハウジングファースト(Housing First:HF)という精神保健サービスにおける新しいパラダイムを例示する.それを通して,人権に立脚した精神科医療の方法について模索することを試みる.

I.共同意思決定
1.共同意思決定を実践するための工夫の必要性
 精神科医療の現場では,患者と医療スタッフが治療ゴールや治療の好みなどについて一緒に話し合って必要な情報を共有し,患者の想いや希望に沿ってともに治療方針を決める,共同意思決定が重要視されてきている.しかしながら,共同意思決定を実際にどのように実践していくことができるかについては,まだ課題が多く残されている.
 こうしたなかで著者らは,共同意思決定が行われることを支援するためのツールとして,精神疾患をもつ人が精神科の診察場面で主治医にききたいことをきき,よりよいコミュニケーションをするための共同意思決定支援ツールである「質問促進パンフレット」と「診察サプリ」を作成した.
 以下に,著者らが作成した共同意思決定支援ツールを紹介することを通して,共同意思決定を促進するために求められる要素や課題について概説する.なお,これらのツールは,あくまで精神科臨床をよりよくしようとする実践行為と位置づけて作成したものであり,効果検証などの研究を行っていないことを付言しておく.

2.質問促進パンフレット
 がん医療の領域などを中心に,重要な面談において患者が医師にききたいことをきいて,主体的な意思決定を行うことをサポートする,質問促進パンフレットの作成と普及が進んできた6).こうした流れのなか,日本の精神保健医療福祉の現場におけるニーズを考えると,医師-患者関係において大きな権威勾配がいまだに存在していることが,1つの大きな課題であると考えられた.そこで著者らは,臨床現場においていますぐに取り組める実践の第一歩として,精神科外来で用いることを念頭においた質問促進パンフレットを作成した.この質問促進パンフレットは,統合失調症をもつ当事者や家族が,精神科外来でききたいことをきき,必要な情報を得て主体的に治療方針を決定するためのコミュニケーションを促進するツールである2)
 著者を含めた精神科医,精神保健福祉士などからなる精神科医療・福祉の専門職約10名によるワーキングチームが,精神疾患をもつ当事者や家族会会員,各専門職の職場の同僚や非専門職などの意見を聴きながら質問促進パンフレットを作成した.作成した質問促進パンフレットは著作権フリーとし,webサイトで無料で公開した9).また,精神科医療や統合失調症に関する情報サイトを運営する複数の団体に協力を依頼し,複数のwebサイト上で一般に紹介した.
 利用する施設の特徴や,利用者・専門職のニーズに応じて,有用な質問促進パンフレットの内容や形式は異なると思われた.また,質問項目については今後も改訂を続けていく必要があると考えられた.そのため,自団体や自施設のための改訂版を自由に作成し,よりよい質問促進パンフレットやその他の共同意思決定支援ツールが作成されて全国で普及することを願い,質問項目のみを記載したWord文書をwebサイト上に用意し,版権フリー,転載・転用可としてパンフレットとともに公開した.
 作成・公開過程において多様な立場の方々に意見をいただいた.また,質問促進パンフレットを作成して以降,webサイトで無料で公開するとともに,冊子体も作成してさまざまな場で3万部以上を配布し,改善のための意見や批判をメールで受け付けた.
 パンフレットの存在や,「ききたいことをきいてください」という支援者の姿勢に対して,当事者や家族からは肯定的な意見が多く得られた.一方で,「これまで十分な説明を受けないまま病院に通っていたため,簡単にはききたいことをきけない」「話したいことを話したり,ききたいことをきけるかどうかは,医師の態度や振る舞いによるところが大きい」など,支援者の姿勢に対して抱く当事者や家族からの苦言も少なくなかった.治療や回復の段階に応じて,柔軟な情報提供や意思決定支援が必要であることも示唆された.「このような質問を追加して欲しい」「このような視点が抜けている」など,質問項目の改善のための意見も多くいただいた.
 医師をはじめとした専門職からは,「大切なことを外来で十分に話し合うためには,診察時間が足りない」という構造上の問題意識が多く挙がった.「待合室に置いておくだけではなく,説明しながら手渡すことで関係性の変化が起こることを感じた」「はじめて語られた話題によって回復が進んだ」など,パンフレットの内容そのもの以上に,支援者の姿勢や振る舞いが大きな効果をもつことが指摘された.また,「患者がきき,それに対して医師がこたえるという,想定されているコミュニケーションのあり方自体がパターナリズムに基づいている」「質問項目が多すぎて全部を理解できない」「治療過程,段階に応じた質問という視点が欠落している」などのさまざまな批判を,主に精神科医をはじめとした専門職からいただいた.「治療上不要である」「これが公認されると,どうしてあのことを説明してくれなかったのか,説明責任を果たしていないなど,当事者から医師に対しての苦情や批判につながる懸念がある」という否定的な精神科医の声もあった5)

3.診察サプリ
 質問促進パンフレットに対していただいた意見や批判をもとに,新たな共同意思決定支援ツールの作成に着手した.質問促進パンフレットの改善にあたっては,質問項目の追加や変更を求める意見を多くいただいており,質問項目のブラッシュアップが必要であると思われた.一方で,診療場面の特徴や,患者の特徴や回復の段階に応じて,話し合うべき話題や必要な共同意思決定支援ツールは異なると考えられ,適した質問も個別に違うことから,「完成された決定版の質問促進パンフレット」を作成することは不可能であると思われた.そこで,すでに作成された質問促進パンフレットの質問項目を土台として,ユーザーである患者や家族が新たな質問項目を自分で追加することができるアプリを作成することとした.
 共同意思決定支援ツールとしてのアプリを作成するにあたって,主な機能を2つに定めた.1つ目は,「ききたいことをきく」ことであり,2つ目は「大切にしたい価値や目標を自分で決める」ことである.
 1つ目の機能である「ききたいことをきく」に関しては,「気になるカルテ」というコンテンツを作成した.「気になるカルテ」では,質問促進パンフレットを発展させ,既存の質問項目に加えてユーザーが自分で質問項目を追加し,それに対応したメモを記載することができるようにした.他のユーザーが追加した新しい質問は,同じアプリを使用する別のユーザーにも共有され,「いいね」をつけたり,気に入った質問を自分のデバイスにインストールすることも可能になっている.「いいね」が多くつけられた質問が順に閲覧できるようになっており,他のユーザーがどのような質問をしているか知ることができる.また,それぞれの質問項目に対してメモ欄があり,自分なりの気づきや支援者と話し合ったことについて書き込むことが可能となっている.
 2つ目の「大切にしたい価値や目標を自分で決める」に関しては,「今日の私」というコンテンツを作成した1).「今日の私」では,目標(いちばん大切にしたいこと)を最大で5項目まで自ら設定したうえで,日ごとに自分で点数をつけてレーダーチャートのように評価することができるようになっている.自らの価値観を発見・再発見したり,周囲の支援者と話題にしたりしながら,共同意思決定の足がかりとすることがねらいである.このコンテンツは,先行して作成されていた共同意思決定支援ツール“SHARE”を参考に作成した10)
 こうして作成したコンテンツを,アプリとして,Android版・iOS版ともにアプリケーション・ストアから無料ダウンロード可能とした8).アプリの名称は,「精神科の診察場面において足りていないコミュニケーションに対するサプリメントとしてのアプリ」という意味合いを込めて,「診察サプリ」と呼ぶこととした.
 個人情報保護の観点から,著者ら作成者自身も診察サプリのユーザーにかかわる情報を一切得ることができない構造になっている.そのため,正確な情報を知りえないが,実際に診察サプリを起動して眺めてみると,使用しているユーザーは一定数存在しているものと思われる.もちろん大きく広がっているとは言い難いものの,無料でダウンロードできるようにしていることもあってか,時折ユーザーから新たな質問項目が共有されていることがうかがえる.

II.権利擁護
1.権利擁護の視点を合わせ持つ必要性
 注意すべきは,このような共同意思決定支援ツールを使用すること自体が,必ずしも共同意思決定を実践していることを意味するわけではないという点である.例えば,患者が質問促進パンフレットを用いて医師とコミュニケーションをとろうとしても,医師が共同意思決定の実践に対して前向きでなければ,患者は医師に相談しづらい可能性が示唆されている.共同意思決定は,患者と医師が協力して実施する継続的なプロセスであるという認識をもちながら,具体的な場面ごとにどのようなツールや取り組みが有効か,臨床実践と研究を精緻に積み上げていくことが今後の課題であろう.
 共同意思決定を行うことによる臨床的な効果を示すエビデンスの蓄積は進みつつあるが,決定的なものではないとされている7).しかしながら,共同意思決定は,単に臨床的な効果を示すエビデンスに基づいて推奨されているだけではなく,人権思想に立脚した倫理的な実践の必要性から強く推奨されているという側面があることも忘れてはならない.つまり,たとえ仮に何らかの臨床的なアウトカムに対する有効性を示したエビデンスが存在しなかったと仮定しても,それだけをもって共同意思決定を行うことをめざさなくていいという結論は導き難い.「私たち抜きに私たちのことを決めないで(Nothing about us without us)」のスローガンとともに採択された「障害者権利条約」が日本でも批准されている.権利擁護という観点を重要視しながら,共同意思決定の効果検証や実装・普及に向けて引き続き取り組んでいく必要がある.
 一方で,患者が自ら主体的に精神科医療を利用することを希望していることを前提としたうえで成り立つ概念であるはずの共同意思決定が,強制的な入院治療のなかで語られることなどに対しては,違和感をもつべきであろう.強制入院や,隔離・身体拘束のような行動制限が行われているなかで,「共同意思決定」について医療者が語るべきではない.「精神科医療を受けなくても生きることができる権利」が保障される必要があり,共同意思決定について語る際には,そのための権利擁護の視点を,その外側に常に持ち合わせている必要がある.対等な関係性に基づいた対話的・伴走的な意思決定が成り立つためには,その前提条件としての対等な支援構造が必要であることを忘れてはならない.人権を擁護するための基盤が必要であり,患者が医師と「共同意思決定することを強制される」ようなことのないよう,存在している権威勾配を是正することが常に求められる.
 近年,精神科医療における強制(coercion)を防止・削減するための取り組みがますます重要視されている.共同意思決定について語る際には,強制(coercion)に対抗する実効性のある制度設計や権利擁護の観点を,常に両輪として持ち合わせている必要がある.患者と医療者の間に存在する権威勾配について念頭におきつつ,患者が強制的な医療を受けない権利が擁護されたうえではじめて,患者本人が選びうる多様な選択肢が生まれ,医療者との共同意思決定が可能になる.共同意思決定を志向するうえでは,共同意思決定支援ツールやプログラムの作成や普及にとどまることなく,その前提となる,人権に立脚した精神保健サービスの制度設計を同時に構想していく必要がある.
 そのような問題意識のもと,以下では,共同意思決定が行われうる基盤について論ずる.すなわち,共同意思決定が行われるためにはどのような支援構造が必要か,という問いを立てたうえで,ホームレス状態にある人に対する支援の領域から発展してきたハウジングファースト(Housing First:HF)という精神保健サービスの新しいパラダイムを,精神科強制入院に対するアンチテーゼと位置づけたうえで,その思想について,人権の観点から考察する.

2.ハウジングファースト
 近年,精神保健サービスをめぐるパラダイムは大きく変化し,ハームリダクション(harm reduction),ハウジングファースト,オープンダイアローグ,当事者研究,共同創造など,さまざまな思想や哲学を伴う実践が展開されている4).これらの変化をつぶさに見つめてみると,人権(human rights)に立脚する必要性が改めて提起されていることに気がつく.人権とは,人間が単に人間であるということのみによってもっている普遍的な権利である.精神保健サービスが,その構造や文化によって,特定の人や集団,特に重複するマイノリティ性のある人や集団をその場から排除し,基本的な人権を侵害しているのではないだろうかという問題意識に基づき,構造や文化を変革していこうとする動きが広がりつつあるといえる.
 ハウジングファーストは,「まず安定した住まいを確保したうえで,本人のニーズに応じて支援を行う」という非常にシンプルな考え方である.精神疾患や依存症をもちながら,慢性的にホームレス状態にある人たちに対するアプローチとして1990年代にアメリカで始まった.現在では,カナダ,フランス,スウェーデン,スペイン,ポルトガル,オランダ,オーストラリアなどの各国で採用されている.日本では制度上の制約から完全な形で再現することにはまだまだ困難を伴うが,東京都の池袋や中野を拠点とした「ハウジングファースト東京プロジェクト」などの取り組みが始まっている3)
 ハウジングファーストでは,人が安定した住まいをもつことの権利が重要視されている.プライバシーが保てる住まいをもつことは人権であり,人は誰も,安全な住まいで暮らす権利があると考える.自分で管理できる空間の鍵をもつということは,その人の尊厳そのものである.
 ハウジングファーストの根幹は,「住まいと支援の分離・独立」にある.住まいはけっして,精神科医療にかかることや薬物を断つことの引き換えに提供されるものではない.医療をはじめとした支援サービスを受けることは本人の意思に基づいており,住まいを得るための条件ではない.アパートで暮らすことができるか,金銭管理が可能か,継続的に病院に通うことができるかなどを評価することからも距離をおく(non judgement).あるがままを受け入れ,まずは安定した住まいを提供する.本人がすべきは家賃を払うことと定期的訪問を受けることだけで,支援サービスを受けようと受けなかろうと,その住まいは失われることがない.たとえ一度築かれた支援者との関係性が破綻しようとも,アパートで暮らし続けることができる.安定した住まいを持ち続けることは,基本的な人権だからである.また,ハウジングファーストは,「ハウジングオンリー」とも一線を画す.本人のニーズに応じた支援サービスが提供され,住まいをもつことはその支援を受けることの条件にはならない.何らかの原因で住まいから出て,再び路上生活となったり入院したり服役したりしても支援は続き,何度でも住まいを提供する.
 ハウジングファーストは重い精神疾患や依存症をもつ人の地域生活を支えることを念頭においている.背景にはハームリダクションの考え方がある.ハームリダクションとは,健康上好ましくない,あるいは自身に危険をもたらす行動習慣をもっている人が,そうした行動をただちにやめることができない場合に,その行動に伴う害や危険をできる限り少なくすることを目的としてとられる,公衆衛生上の実践や政策を意味する.ハウジングファーストでは,精神疾患や身体疾患の治療を受け,断酒し,就労ができるというような「あるべき状態」が押し付けられることはない.安定した住まいを得ることで,ホームレス状態が続くことから生じる身体やこころへの危害(ハーム)を低減するということを念頭においた,極めてプラグマティックな方策である.精神疾患や依存症に対する支援につながらず,症状の改善が得られずとも,安定した住まいが提供されることによって精神的身体的な負担が減る.そして,安定した住まいが本人の回復や他者とのつながりを得ていくことにもつながってくる.
 ハウジングファーストは,まずは寮やシェルターに入って集団生活をし,就労支援を受けて職を得て,安定したところでアパートに移るという,「ステップアップモデル」的なホームレス支援のあり方に対する,オルタナティブな支援のあり方として位置づけられる.集団生活が苦手であったり,他者との関係性のなかでの困難を積み重ねてきた人ほど,ステップアップモデルの途中でつまずき,再び路上生活となってしまいやすいという支援現場の切実な課題のなかから生まれた.ステップアップモデルの途中で対人関係上のトラブルなどからトラウマの再体験をして失踪し,路上に戻ってしまうというようなことが起こりやすいプロセスを避け,本人なりのペースで回復していくための基盤となる居場所としての安全で安心できる住まいを,まずは条件なしに提供する.

3.人権としての住まいの支援から始めること
 ハウジングファーストは,精神科病院への長期入院をはじめとする,あらゆる施設化に対する対抗の思想であるともいえる.共同意思決定を実践するための基盤としての,精神科医療における強制(coercion)に対抗する実効性のある権利擁護の方法として,住まいの支援から始めることが必要不可欠であると思われる.
 住まいは基本的な人権であり,それと同時に,さまざまな人権の基盤でもある.自分だけの鍵のかかる個室が得られることは,プライバシーを守り,人間の精神の自由(自由権)を守ることにつながる.また,雨風をしのぎ,外界から身を守る(社会権・生存権)ためには,住まいが必要不可欠である.さまざまなサービスを利用するために住所が求められており,参政権の基盤ともなる.
 人権とは,人間が単に人間であるということのみによってもっている普遍的な権利であり,人間であること以外には,いかなる条件も求められない.住まいは人権であるという思想に拠って立つならば,住まいを得るために,いかなる条件も求められるべきではない.ハウジングファーストが,住まいを得ることと,治療を受けたり回復することを徹底的に切断し,それぞれを分離・独立して提供しようとする意味はここにある.人が医療を受けようと受けなかろうと,人権であり,人権の基盤でもある安全な住まいは得られなければならないのだ.
 共同意思決定は,臨床場面における,対等な関係性に基づいた対話的・伴走的な意思決定であり,患者と医師が協力して実施する継続的なプロセスである.その対等な関係性の前提として,患者が医師と共同意思決定することを選択しない場合においても,患者の基本的な人権が侵害されない生活の基盤が保障されている必要がある.患者が医師と共同意思決定しなかった場合に,住まいをはじめとした人権が損なわれるならば,そうした状態において,医師が共同意思決定を語るべきではない.
 共同意思決定を考えるうえでは,その前提としての権利擁護の視点を常に両輪として持ち合わせ,具体的な選択肢や手段を提供する必要がある.共同意思決定という概念が広がりをみせるなかで,こうした議論を深めていくことが求められている.

おわりに
 近年の精神保健サービスのパラダイムシフトの1つであるハウジングファーストについて概説し,その住まいと治療の分離という方法の背景となる思想から学ぶことを通して,共同意思決定という概念を用いるうえで権利擁護の視点を常に持ち合わせる必要があることについて述べた.共同意思決定という概念の認知は進んできたが,その具体的な方法は発展途上にあるとともに,本稿で述べたような批判的な視点を含めて,さらなる議論の成熟も求められる.現行の日本の制度設計のなかでは,ハウジングファーストを完璧に実践することは困難であり,さまざまな工夫や妥協をしながら取り組んでいるのが現場の実態である.住まい以外の視点も含めた権利擁護の文脈においても,精神科入院医療におけるアドボケイトの制度設計を構築することをはじめ,今後取り組んでいくべき課題は山積している.もちろん理想通りには実践できないことも多いが,現場における工夫や議論を重ねながら,精神保健サービスの質の改善へとつながる取り組みを前向きに展開していく必要がある.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 金田 渉: 当事者とともに治療をつくり, 回復をめざすための工夫. こころの科学, 210; 55-59, 2020

2) 熊倉陽介: 質問促進パンフレットを用いたリカバリー志向の診療. 精神経誌, 118 (10); 757-765, 2016

3) 熊倉陽介, 森川すいめい: ハウジングファースト型のホームレス支援のエビデンスとその実践. 賃金と社会保障, 1692; 4-22, 2017

4) 熊倉陽介: トラウマインフォームドな精神保健医療福祉のパラダイムシフト(その1)トラウマに飲み込まれないように. 精神看護, 23 (5); 436-441, 2020

5) 熊倉陽介, 金原明子, 金田 渉ほか: 共同意思決定支援ツール「質問促進パンフレット」と「診察サプリ」の作成の試み. 精神医学, 62 (10); 1359-1367, 2020

6) Shirai, Y., Fujimori, M., Ogawa, A., et al.: Patients' perception of the usefulness of a question prompt sheet for advanced cancer patients when deciding the initial treatment: a randomized, controlled trial. Psychooncology, 21 (7); 706-713, 2012
Medline

7) Slade, M.: Implementing shared decision making in routine mental health care. World Psychiatry, 16 (2); 146-153, 2017
Medline

8) 診察サプリ. (https://co-production-training.net/wp/wp-content/themes/co-production-training1.1/pdf/%E8%A8%BA%E5%AF%9F%E3%82%B5%E3%83%97%E3%83%AA%E7%B4%B9%E4%BB%8B.pdf) (参照2021-01-27)

9) 精神科外来における意思決定支援ツール開発・普及委員会: 質問促進パンフレット. (https://decisionaid.tokyo/) (参照2021-01-27)

10) 山口創生, 熊倉陽介: 統合失調症患者における共同意思決定―新しいアプローチとシステム―. 医学のあゆみ, 261 (10); 941-948, 2017

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