Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第120巻第4号

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特集 精神科臨床と脳病理―精神科ブレインバンクへの期待―
臨床精神医学と脳研究―日本版精神科ブレインバンクへの期待―
入谷 修司
名古屋大学大学院精神医療学講座
精神神経学雑誌 120: 262-268, 2018

 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の事業として,2016年度から,「日本ブレインバンクネットの構築」の課題に5年間の予算が算定された.これは,精神神経疾患の病態・病因解明のために,研究者に脳組織を提供することを主眼とし,結果として医療水準の向上をめざすことを意図している.その背景には,生物学的な精神医学研究の分野において,脳研究が欧米に依拠し,研究マテリアルも欧米のブレインバンクに依存してきた歴史がある.日本の研究水準や活動を維持活性化するためにも,脳リソースの提供は必要欠くべからざるものであり,欧米のブレインバンクに依存した体質から脱却する必要がある.精神神経領域における病態解明の歴史を振り返ると,クレペリンの時代から脳組織に着目した研究が行われ,それがアルツハイマー病やレビー小体病の疾患単位の発見として結実した.しかしながら,近年の脳神経画像技術のめざましい進歩や分子生物学の進歩により,精神疾患の病態解明は,脳組織そのものから焦点が移動していった.今日,それらの生物学的な研究成果を脳組織に再確認し収斂する必要性が改めて認識され,そのために,実際に研究使用可能な脳組織の蓄積が要請されている.このような背景のもと,「精神科ブレインバンク」がスタートした.この事業の成否は,ひとえに,疾患に苦しむ患者が自らの脳を研究に資するという志にかかっており,それは臨床医の理解や協力なくしては達成できない.本稿では,精神科における脳研究の歴史とその将来的可能性について論じ,もってこの事業が臨床的にも研究的にも水準を上げる一助になればと考える.

索引用語:脳病理, 脳研究, 精神科臨床, 精神疾患, ブレインバンク>

はじめに
 精神科臨床の領域では,「ブレインバンク」という言葉は,脳研究に関係していないと耳慣れない言葉である.“Brain Bank”を,ネットで検索すると,いくつかの欧米の組織や機関がヒットする.精神疾患解明の観点から,研究活動を支えるためのリソースの蓄積(脳組織の収集)の分野においては,日本は欧米やオセアニア諸国などと比較し非常に立ち後れている.この背景にはいくつもの要因が挙げられよう.その要因については,ここでは紙幅の関係から詳しく述べないが,精神疾患の病態解明のためには,脳組織そのものの検索が必要であることは言うまでもない.日々の臨床においては,患者・家族の訴えに耳をかたむけ治療に専念するのは当然であるが,一方では疾患の解明に関心をもち,研究に専念できないまでも疾患解明に貢献する姿勢が必要であり,それはあたらしく日本で始まった専門医制度のもとでの,リサーチマインドをもった精神科専門医としての責務でもあろう.日本版の精神科ブレインバンク構築の成否は,各々の精神科臨床医の関心と理解にかかっている.なぜならば,病理解剖を通して「脳」を研究に資する橋渡しは患者・家族との信頼関係を背景にしており,この活動を共有できるのは臨床医にほかならないからである.
 他院から,総合病院や大学病院の精神科に紹介される患者のなかには,すでに脳画像検査が施行されているにもかかわらず,その画像情報がない,あるいは,「異常所見がない」というコメントだけで紹介受診となることがある.多くの場合は想定される器質因は除外され,いわゆる内因性の精神疾患を想定されるので,とくに精神科では,その情報は必要がないと判断されているのであろう.しかしながら脳画像情報は,精神科臨床では重要な診断ツールである.例えば,当初精神症状で受診する患者のなかには,その経過で器質因が明確になるケースが少なからず存在する.レビー小体病や抗NMDA脳炎,クロイツフェルトヤコブ病,ハンチントン病など,当初は統合失調症や躁うつ病などと診断され,のちに診断が明確になる場合がある.そういった症例を早期に診断するためには,神経画像情報は不可欠である.すなわち,精神疾患を診るうえで,常に脳という臓器を意識しながら疾患に対峙することが必要であるといえよう.

I.精神科における脳研究の歴史
 明治維新の時代,日本は医学の範をドイツに求めた.それは,軍隊制度などの範をドイツに求めたといった背景もあった.同様に精神医学も,ドイツ精神医学を手本にした.
 なぜドイツなのか,その理由は当時のドイツ医学の重厚な歴史的背景にあった.ここでドイツ精神医学の歴史の創始者の一人であるグリージンガー(Wilhelm Grieginger, 1817~1868)について述べることにする.彼は,自らの教科書3)のなかで,「精神病は脳の病気である」と述べ,他の身体疾患と同様,精神疾患の由来は脳という臓器にあるとする科学的考え方を提唱した.これは,今につながる生物学的精神医学の嚆矢ともいえる.そして教科書のなかで,「精神病という現象は,どの臓器に属するものなのか? 精神疾患が存在するとき,どの臓器に常に病理変化を伴うべきか? この問いに対する解答が,精神医学全体の前提となる.この問題の臓器が脳に他ならないことが,生理学および病理学の諸事実によって示されれば,われわれは,精神疾患には常に脳病理を見いだすことが可能だろう」と述べた(訳書,p.3).そして,彼は,Einheitspsychose(単一精神病)という概念を提唱し,「さまざまな心身症状をみせる各種の精神疾患の本態はただ1つの精神病に還元できること,そして精神病の原因を解明して効果的に治療するためには『脳神経科学(脳病理学)の進歩』を待つしかない」と考え,将来的な科学的進歩が精神疾患の解明につながり,臨床症状を詳細に記述する必要性を唱えた.
 精神神経学会を設立した呉秀三(1865~1932)は,神経学雑誌の第一巻第一号(現在の精神神経学雑誌)の巻頭語6)において,「或いは精神病と云ひ,或いは神経病と名くるも等しく是れ神経器官の機能障碍にしてその徴候に多少の差異あるのみ.両者の間毫も割然たる限界の存するを認めず,機能的神経症の如きにありて殊に其然るを見る.之を思わずして徒に精神病を内科の圏外に放念して,全然神経病と区別せんとするが如きは,抑も思わざるの甚だしきものと云うべし」と述べている.これは,前述のグリージンガーの影響を強く受けているとともに,精神疾患を精神神経疾患として認識する必要性を強調している.
 グリージンガーの考え方の影響を受けた一人に,精神科医でもあり解剖学者,神経病理学者でもあったマイネルト(Theodor Meynert, 1833~1892)が挙げられる.彼は,その名を,マイネルト基底核という脳部位に残しているが,精神疾患の病因解明を,脳病理・脳解剖で大脳皮質の層構造や神経線維の走行などに求め,生物学的に疾病を解明しようとした.これらの研究は,臨床での症候群と脳機能の相関をあきらかにする方法論を提示した.彼の弟子たちには,コルサコフ症候群に名を残しているコルサコフ(Sergei Korsakoff, 1854~1900),精神分析に偉大な足跡をのこしたブロイアー(Josef Breuer, 1842~1925)やフロイト(Sigmund Freud, 1856~1939),神経梅毒の治療でノーベル賞を受賞したヤウレック(Julius Wagner―Jauregg, 1857~1940)たちの精神医学の泰斗たちがいた.
 当時のヨーロッパでの精神医学を主導しドイツ精神医学の礎を作ったのは,クレペリン(Emil Kraepelin, 1856~1926)であることは言うまでもなく,クレペリン帝国とまで呼ばれていた.精神神経疾患の疾病分類を確立したことをはじめとして,今の精神科医療につながる業績を残している.彼は,グリージンガーやマイネルトの考えの延長線として,当時dementia praecox(早発性痴呆:現在の統合失調症)と呼ばれていた病態の原因は,「We thus come to the conclusion that, in dementia praecox, partial damage to, or destruction of, cells of the cerebral cortex must probably occur, which may be compensated for in some cases, but which mostly brings in its wake a singular, permanent impairment of the inner life」〔早発性痴呆においては,大脳皮質の細胞の部分的な損傷あるいは破壊があり,それらは時には代償することもあるが,多くは特異なそして永続的欠陥を生涯にわたって残すという結論に達する(著者訳)〕5)と考え,脳病としてのmental illnessの考えを推し進めた.そのような考えのもと,クレペリン門下のアルツハイマー(Alois Alzheimer, 1864~1915)たちも,精神疾患の脳病理研究を進めた.アルツハイマーは,自らの名を冠した疾病単位を報告したことが有名であるが,一方で“psychosen”の脳病理に関しても神経病理学的な観察を行った.当時統合失調症は「早発性痴呆」,認知症は「痴呆」と呼ばれ,臨床症状から近縁疾患であると考えられていた.しかし,アルツハイマーはその研究のなかで,統合失調症患者の脳にはグリオーシスがないことを示し,認知症よりは予後が良好であることを推量している.このことは,精神疾患群のなかで,確かな指標でグループ分けをすること,すなわち当時で言う早発性痴呆は痴呆とは異なった疾患であるということを明確な証左をもって示したのである.このような考え方や進め方は,人間の精神機能や臨床症状を確かな指標をもってみていくうえで重要なことであると考えられる.すなわち,詳細な臨床症状の観察と,それに基づく,医学生物学的な観察(この場合は神経病理学)があることによって病態把握や病態解明が進むと考えられる.
 ドイツ精神医学の隆盛の1900年当初は,神経解剖学的な手法で精神神経疾患の解明が図られた.しかし,目に見える形で異常な蛋白が蓄積する認知症性疾患の病態解明の進歩と対照的に,いわゆる内因性の精神疾患の解明は,あきらかな病因・病態を示すことが困難になっていた.クレペリンの弟子であったガウプ(Robert Gaupp, 1870~1953)は,精神医学における病理学的方法に限界を認め,1903年,精神医学には自然科学的方法とは異なる認識方法が必要であると主張し,「内的観察」を重視した.このような潮流は,いわゆる力動精神医学の隆盛と重なる.実際,前述した精神分析の泰斗であるフロイトも,当初はウィーン大学のマイネルトのもとで神経病理学(脊髄神経)や失語症などの研究を行っていたが,その後シャルコー(Jean―Martin Charcot, 1825~1893)やユング(Carl Gustav Jung, 1875~1961)などと出会い,精神疾患解明の軸足を器質的なものから心的な方向へと変えていった.
 日本においては,呉秀三が,クレペリンやニッスル(Franz Nissl, 1860~1919)の活躍していた欧州への留学(1896~1901)ののち,ドイツ精神医学を日本に輸入した.神経学会(のちの精神神経学会)を設立し学会誌を発刊し,また,ニッスル染色法を輸入するなど脳神経病理学の研究も推し進め,日本の精神医学の礎を築いた.精神神経学会のホームページには,顕微鏡を背景にした呉秀三の写真が掲載されている.そして,巣鴨病院(のちの松沢病院)においても脳解剖を進めた.呉秀三が東京帝国大学の精神医学教室(松沢病院に教室がおかれていた)を率いていたときに,指導を受けていた一人が下田光造である.彼は,精力的な精神疾患の神経病理学的研究ののち「精神分裂病が器質的疾患であるという解剖学的根拠をつかみ得ない」とし,その後に執着気質の研究に邁進することになる11).精神神経疾患の脳病理学では,神経変性疾患や,神経梅毒(脳でスピロヘーターを確認する)の分野では大きな成果を上げることができたが,一方で統合失調症や双極性障害の病因・病態解明には,再現性をもった成果を示すことができない時代が続いていた.ついには,1952年第1回国際神経病理学会(Roma)において,“There is no neuropathology of schizophrenia”と結論づけられ,“Schizophrenia is the graveyard of neuropathologists”(『統合失調症は,神経病理学者の墓場』)とまで表現されるようになった10).そのようななかでも,統合失調症の脳病理研究が中断されたわけでなく,継続的に行われていた.たとえば,立津政順13)や宮川太平7)などの仕事が日本から発信されている.それらは,現代的な観点からみれば,再評価されるべき仕事と考えられる.例えば,ミエリンに関する宮川の仕事は,35年ののちに同じような観点から再現的に報告されているのは興味深い14)
 ガウプにしろ,フロイトにしろ,また日本においては下田にしろ,彼らの精神医学での業績の背景には,脳組織の理解の素養が原点になっていることは重要なことだと思われる.2000年にノーベル医学・生理学賞を受賞したカンデル(Eric Richard Kandel, 1929~)は,「あらゆる精神活動は脳の活動から起こる.脳の機能は,遺伝子と蛋白質が担っており,脳の神経細胞間の相互関係のパターンを決定する.遺伝子のみからでは,精神障害の発症を説明できない.社会環境的因子や発達上の諸因子もまた重要な働きをする.学習などの過程によって遺伝子発現に変化を与え,それはニューロンネットワークの形成に影響を及ぼす.さらに,遺伝子発現の変化は各人がもつ個性の生物学的基盤のみならず,種々の因子によって生ずる行動障害の発症や経過に影響を及ぼす」と述べ,「精神療法やカウンセリングが臨床治療上有効性を発揮するのは,学習の過程によって引き起こされる神経細胞間の結合が影響を受け,シナプス連結の強さと構造に変化が生じるからである」と,精神機能を生物学的な原理と結びつける考えを示した4).このことは,精神科臨床にとってはとても重要なことである.なぜなら,薬物治療にしろ非薬物治療にしろ,脳組織に働きかけていることには間違いがなく,そして何らかの変化をもたらしていることが想定されているからである.その意味で,力動的精神医学や精神分析の分野であったとしても,脳組織からはなれて成立しえないと考えられる.それを示す良い例に,カプグラ症候群という病態がある.替え玉妄想症候群ともいわれているが,この病態は,フランスの精神科医のカプグラ(Jean Marie Joseph Capgras, 1873~1950)が,1923年に症例報告したものであるが,当時のフランスにおいては精神分析的解釈が主流で,近くて親しい人への相反感情や,父親に対する近親相姦的感情をカモフラージュするための防衛機制と解釈されていた.しかし,近年になり,この症候群が,アルツハイマー病やレビー小体病などの脳の変性疾患や脳腫瘍などの患者にも観察されることが報告されるようになり,その病因・病態に関心がもたれるようになった.2001年には,エリスらが,カプグラ症候群と相貌失認との比較において器質的なメカニズムの仮説を提唱した1).これだけでは,すべての現象が明瞭に説明できるわけではないが,この症候群と脳の機能とを関連づけることは疾病理解には大きな進歩であった.イギリスの神経学者で,小説家でもあったオリバー・サックス(Oliver Sacks, 1933~2015)は,精神医学と神経学がそれぞれの分野の専門性をもったことを「魂のない神経学と,体のない心理学になった」と皮肉っている.彼の言葉を教訓として,われわれはいまいちど,「精神疾患」でなく「精神神経疾患」として一元的に臨床にむかう必要があるのではないだろうか.

II.精神神経疾患解明の脳研究
 その後,精神疾患の解明は神経病理学的な方法から,神経画像研究や分子生物学的技法に移っていく時代をむかえることとなった.神経画像研究やゲノム精神医学が精神疾患の病因・病態解明に果たした役割は大きい.しかし,それらの研究分野からの病因・病態の成果が蓄積するにつれ,再度脳組織への関心がたかまってきた.すなわち,MRIなどの進歩により脳の詳細な形態が捉えられるようになり,例えば,統合失調症の疾病経過のなかで脳の容量の減少が繰り返し報告されるようになったが,実際に脳の組織の変化としてどういったことが生じているのかを検証する必要がある.また,統合失調症で見いだされた多くの候補遺伝子の機能が,脳神経細胞の成熟や配列,遊走などにかかわっていることから,脳組織での神経病理学的な検討の必要が要請されるようになった.また,遺伝情報から蛋白合成,そして組織形成の過程のエピジェネティクな出来事は,やはり脳組織そのものの観察からしか検証・確認できない.このように,神経画像の研究成果にしろ,分子生物学的な研究成果にしろ,脳組織における検証という作業が控えていることが認識され,それぞれの研究が脳組織の観察において結びつくことによって,より病因・病態に近づくことが可能になるものと考えられる.一方で,分子生物学的な進歩の結果,いくつかのモデル動物が病態解明のために作製されている.行動薬理学的な研究だけでなく,それらのモデル動物の神経病理学的な検討は,ヒトの死後脳研究にとっては貴重な手がかりを提供してくれる.ヒト死後脳の神経病理学的な検討では,死亡から解剖までの死後時間や,死戦期の酸素欠乏現象などが組織に与えるダメージが大きく,本来の病態観察の障壁になることが多い.そのため,動物モデルのように,そのような影響を除いた病態のみを反映した脳組織は,実際のヒト疾患脳の神経病理学的観察の有用な指標を与えてくれる.統合失調症の有力なリスク遺伝子DISC1の遺伝子改変モデル動物は,病態を反映した優れたモデルと考えられている.われわれは,モデル動物の脳の神経病理学的な検討においてもいくつかの所見を見いだしている.これをもとに,ヒト死後脳において検証することで,病態を推量することができる.また,最近,統合失調症の病因・病態について,大脳白質の障害,とくにグリア神経系の異常が報告されるようになった.一方で脳神経画像から拡散テンソル画像(DTI)によって白質の線維統合性の評価が可能になっており,統合失調症脳でいくつかの所見が見いだされている.最終的には,分子生物学的な所見と神経画像の所見を,実際の脳病理で確認することで病態が把握でき,その事実から病因の突破口を見いだすことができると考えられる.

III.精神科ブレインバンクの可能性と有用性
 かつて,アルツハイマーがミュンヘンの精神科病院で診察し,その病理を報告したアルツハイマー病の最初の患者のアウグステ,D. の脳標本は長く行方がわからなかった.しかし,1997年にミュンヘンで標本が見つかり,最新の分子生物学的な解析が進められた.その結果,2012年にアウグステがプレセニリン1(PSEN1,γセクレターゼ)変異の保因者であったことが判明した8).このように,疾患脳が組織標本として後世まで保存されていたことによって,当初はわからなかった情報をあたらしい視点からさらに得ることができる.つまり,脳がもっている疾患にかかわる情報は,神経病理学的解析で終わりであるだけでなく,生物学的研究が進めばさらに探索できる可能性を示している.一方,現在,ほとんどの精神疾患の病因・病態解明研究はそのブレイクスルーを求めて精力的になされているが,依然ブラックボックスのままである.しかし,いままでの精神医学における脳研究の歴史や,他分野の技術的革新が精神医学研究に応用されてきた経緯などをかえりみれば,脳臓器をいつも意識しながら医療を進めていく姿勢は大切である.そして,その延長線上に,脳を研究リソースのために蓄積する精神科ブレインバンク構想がある.一方で,臨床医にとっては,個々の臨床で診た患者の脳病理を通した振り返りでもあり,研鑽や技倆の向上のきっかけでもある.そして臨床医学に真摯に向き合う姿勢と言っても過言ではない.

おわりに―課題と展望―
 ブレインバンクを維持運営するためには,課題は山積している.まず日本の医療では,病理剖検数が極めて少ないということである.これは,医学全体でもそうであるし,欧米と比較すると,とくに日本は剖検率が極めて低い.日本病理学会による日本の病理解剖数は1985年の4万件をピークとして,1990年から急速に減少し,現在1万1千件前後(2015年)である9).また,病院評価機構によれば,剖検率は,2007年500床以上の病院あるいは特定機能病院での剖検率はそれぞれ9.2%,17.3%であったが,2012年には5.2%,10.2%に減少している2).そして,日本全体での病院剖検率は,2.8%まで減少している12).精神科の分野でも然りである.かつては剖検を行っていた精神科の病院でも,医療の効率化を背景に,ほとんど実施されなくなった.また,脳の病理所見を検証する必要はなく,脳画像のみで事足りるという意見もあるだろう.このような背景でブレインバンク運用はきびしく,とりわけ精神科分野はよりきびしいものとなっている.また,患者・家族に病理献体を協力していただくということも現実には難しくなっている.最終的には,一人一人の臨床医の脳研究の理解に依拠するところは多く,ブレインバンクの成否もそこにかかっている.
 2016年度から,AMEDの事業として,精神神経疾患の病因・病態解明のための日本版ブレインバンク事業が始まっている.精神科領域での脳病理を実践している機関は少ないが,これを機にいままで欧米のブレインバンクに依拠した体制を脱却する必要がある.そして,臨床でかかわった患者の脳を研究に資する過程に携わることは,たとえ実際に直接臨床医が脳を研究することはなくてもブレインバンクに協力することであり,巨視的にみれば医学の進歩に大きく貢献する崇高な活動であることを銘記しておきたい.日本版精神科ブレインバンクの成否は,広く臨床精神科医の認識や理解・協力にかかっている.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Ellis, H. D., Lewis, M. B.: Capgras delusion: a window on face recognition. Trends Cogn Sci, 5; 149-156, 2001
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2) 深山正久: 医療における病理解剖―剖検率低下を考える―. 日内会誌, 102; 2320-2324, 2013

3) Grieginger, W.: Die Pathologie und Therapie der psychischen Krankheiten, für Ärzte und Studierende. Stuttgart, 1845 (小俣和一郎, 市野川容考訳: 精神病の病理と治療. 東京大学出版会, 東京, 2008) 注: 原典は, 以下で供覧可能. http://www.deutschestextarchiv.de/book/view/griesinger_psychische_1845?p=15 (参照2018-02-28)

4) Kandel, E. R.: A new intellectual framework for psychiatry. Am J Psychiatry, 155; 457-469, 1998
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5) Kraepelin, E.: Dementia Praecox (Barclay, E., Barclay, S., translators). Churchill Livingstone, New York, p.154, 1919/1971

6) 呉 秀三, 三浦謹之助: 序. 神経学雑誌, 1; 1-4, 1902

7) Miyakawa, T., Sumiyoshi, S., Deshimaru, M., et al.: Electron microscopic study on schizophrenia. Mechanism of pathological changes. Acta Neuropathol, 20; 67-77, 1972
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8) Müller, U., Winter, P., Graeber, M. B.: A presenilin 1 mutation in the first case of Alzheimer's disease. Lancet Neurol, 12; 129-130, 2013
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9) 日本病理学会: 病理剖検輯報とデータベース (http://pathology.or.jp/kankoubutu/autopsy-index.html) (参照2018-02-28)

10) Plum, F.: Prospects for research on schizophrenia. 3. Neurophysiology. Neuropathological findings. Neurosci Res Program Bull, 10; 384-388, 1972
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11) 下田光造: 精神分裂病の病理解剖. 精神経誌, 46; 557-572, 1942

12) 高林克日己: 剖検とCPC. 日内会誌, 104; 2180-2183, 2015

13) Tatetsu, S.: A contribution to the morphological background of schizophrenia. Acta Neuropathol, 3; 558-571, 1964

14) Uranova, N. A., Vostrikov, V. M., Vikhreva, O. V., et al.: The role of oligodendrocyte pathology in schizophrenia. Int J Neuropsychopharmacol, 10; 537-545, 2007
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