Advertisement第121回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第118巻第1号

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教育講演
第111回日本精神神経学会学術総会
職場と連携するときに知っておきたい国の指針や手引き
井上 幸紀
大阪市立大学大学院医学研究科神経精神医学
精神神経学雑誌 118: 40-46, 2016

 主治医と職場がうまく連携することはメンタルヘルス不調の労働者にとっての利益となるが,そのためには様々な共通理解が必要となる.職場では,安全配慮義務の観点から全ての労働者の健康保持に配慮し,危機管理の観点からは仕事で問題が生じること(事例性)がないことを求める.職場としての対応原則は疾病性ではなく事例性であることへの理解が主治医にとって重要となる.国も労働者のメンタルヘルス対策として様々な指針や手引きを出している.組織体制の整備に関して「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」が2000年に,復職については「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」が2004年に示されている.2011年には「心理的負荷による精神障害の認定基準」も示され,ハラスメントも労災の対象と明示された.企業は労災訴訟などを避けるためにもこれら指針や手引きを念頭にメンタルヘルス不調の労働者に対応していることが多く,主治医が同様の知識をもつことはスムーズな連携につながる.

索引用語:安全配慮義務, 危機管理, 指針, 手引き, 連携>

はじめに
 社会環境や労働環境の急激な変化もあり,うつ病を中心とした職場におけるメンタルヘルス不調者は増加し,精神科主治医はその疾病性の改善をめざして治療を行っている.メンタルヘルス不調の労働者への対応は主治医だけで完結するわけではない.休職からの職場復帰を例にとると,主治医が復職可と判断しても職場が医師の復職判断に難色を示すことは珍しくない.職場復帰以外でも主治医と職場がうまく連携することでメンタルヘルス不調の労働者の利益になることは多い.ではうまく連携するためにはどのような知識や共通理解が必要なのであろうか.

I.安全配慮義務について
 安全配慮義務とは,「事業者が労働者に負っている労働契約上の債務で,事業者が労働者に対し,事業遂行のために設置すべき場所,施設もしくは設備などの施設管理または労働の管理にあたって,労働者の生命および健康などを危機から保護するよう配慮すべき義務(労働契約に附随する自然発生的な責務)」とされている.近年は個人の持病を知りながらそれを悪化させるような職務を与えた結果生じた疾病の悪化部分に対しても労災が適応されることがあり,様々な個人の持病に対しても安全配慮義務が求められるようになった.うつ病はメンタルヘルス不調の中で最も多い疾患であり,職場で疾病としての理解を得ることができるようになってきた.しかし例えば,うつ病が改善し復職した労働者と知りながらも本人の希望(復職したのだからこれまでの迷惑を埋め合わせたい,仕事をしたいなど)で結果的に過重なストレス(残業など)を加え自殺が生じれば,安全配慮義務違反から労災認定されることもある.実際精神障害による労災申請やその認定は増加している1).労災認定されれば,賠償金の支払い,風評被害や株価の暴落,優秀な職員が雇用できない,残された人(家族,友人,同僚)が発病し休業する,職場や組織の士気が低下する,管理職や経営者への不信を生じるなど多くの問題が生じ,場合によっては企業そのものの存続にまで影響を与える.一方,職場は労働者を雇用し賃金を支払うわけであるから,労働者の健康に配慮しつつも一定の労務を与え成果を得ることもまた企業の存続に必要となり,これは一種の危機管理(会社に損失を与えないようにする)と考えられる.そのため,メンタルヘルス対策は労働者の健康保持など安全配慮義務的観点と,企業の危機管理の両面から重要となる.
 職域で気分障害(うつ病)の理解は比較的進んだとしたが,統合失調症はどうであろうか.気分障害に比べ,統合失調症の労働者は多くはない.気分障害に比べ,症状そのものが理解しにくいこともあり,産業保健スタッフであってもその理解は不十分である.他にも,発達障害やパーソナリティ障害など精神障害の範囲は広い.これら多様なメンタルヘルス不調に対しては,いまだ理解も対応方法の検討も職場では不十分である.産業現場は個別の疾患についての知識が限られていることから,対応は疾病性を念頭に置くのではなく,事例性(仕事で問題が生じること)がないことを考慮して行われている.

II.国の示すメンタルヘルスに関する様々な指針や手引きについて
 2000年までの労働者の健康対策は,健康な労働者をさらに健康にしようというものが多かったが,2000年以降メンタルヘルス不調を理由とした労災認定がなされるようになり,メンタルヘルスに関する様々な指針や手引きが国から出されるようになった(表1).メンタルヘルス対策に苦慮している職場はこれら国が示した指針や手引きを重視して対応していることが多く,これら指針や手引きを職場と主治医が共通理解している前提で連携を望んでくることも多い.職場と十分に連携するためにはこれら指針や手引きの知識が欠かせない.
 2000年に出された「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」2)は主に組織体制に関する指針である.また2006年に「労働者の心の健康の保持増進のための指針」が出されており,これら指針のポイントは,メンタルヘルス対策を効果的に進めるために必要なケアを4つの種類に分けて示していることである.「セルフケア」は,ストレス発散など労働者本人のストレス対策であり,また事業者はそれを支援することとされている.「ラインによるケア」は,管理監督者が行う職場環境などの把握改善と部下の相談への対応などである.「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」は,企業の産業医,保健師や人事労務管理スタッフが行う専門的なケアであり,労働者や管理監督者等の支援や,具体的なメンタルヘルス対策の企画立案を行うことなどが含まれる.「事業場外資源によるケア」は,職場以外の専門的な機関や専門家を活用し,その支援を受けることである.これら4つのケアはおのおのが十分機能することは当然として,お互いが十分に連携することが重要とされている.我々精神科主治医は「事業場外資源によるケア」に知らない間に組み込まれているともいえ,職場と連携するときにどのような立場にいるのかを理解しておくことはスムーズな対応に役立つ.
 2004年に復職に関する「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」3)が示され,すでに2009年に改訂されている.ここではいわゆる5つのステップ(図1)がキーワードとなる.第1ステップは休業開始部分,第5ステップは職場復帰後のフォローアップであり,狭義の職場復帰ではなく,職場復帰全体を通した手引きであることに注意が必要である.我々主治医は,第1ステップにおける休職の診断書提出,第2ステップでの復職可の診断書提出などに組み込まれている.昔は主治医の診断書が出ればすぐに復職可となることも多かったが,再休職が多いなどの問題もあり,この手引きでは,第3・第4ステップで職場の産業保健スタッフが職場として(事例性を通して)復職可否を判断したり,その条件を検討したりすることになっている.そのため最近は主治医が復職可の診断書を提出してもすぐに復職とならず,産業医面談などを理由に復職まで長い場合は数ヵ月かかることもある.復職可の診断書作成後,実際の復職日まで傷病手当金への記載を求められ,これを断る主治医もいてその気持ちは理解できるが,労働者の不利益にならないよう柔軟な対応が望まれる.またこの手引きには,産業保健スタッフから主治医に出す情報提供依頼書のひな形も提示されている(図2).病名は個人情報の最たるものであるから必須とはされておらず,ここでも事例性を中心とした問合せ項目となっている.また復職後に主治医が復職条件を理解することは適切な投薬調整や精神療法に結びつく.この手引きには職場から主治医にあてた報告書のひな形も準備されているので,必要であれば職場に要望し治療に活かすこともできる(図3).
 2006年には長時間労働者への医師による面接指導の実施が新設された.これは,「事業者は,労働者の週40時間を超える労働が1月あたり100時間を超え,かつ,疲労の蓄積が認められるときは,労働者の申出を受けて,医師による面接指導を行わなければなりません」などと規定したものであり,それ以外の場合(残業80時間以上の場合など)も規定されている.過重労働やうつ病への早期対応を念頭に置いたものではあるが,面接するのは産業医であり精神科医とは限らないため,長時間労働者への面接指導チェックリスト(医師用)4)が準備されている.ここでは実施方法がフローチャートで示され,うつ病を疑うための質問項目なども記載され(図4),精神科医ではない医師でも使用できる.逆に言えば,我々精神科医に「うつ病の疑い」として紹介してくる産業医の判断基準はこの程度の根拠によるものであることを認識して連携することが必要と思われる.
 2011年には「心理的負荷による精神障害の認定基準」5)が示された.労働の「質」を定量化することは難しく,上司や産業医面談で把握することも困難であったことから,労働の質の定量化の試みとして出されたものである.これまでにも,1999年に「心理的負荷による精神障害等に係る事業上外の判断指針について」として類似のものが出されていたが,指針のみでは決定困難で審議会などが必要となり,審査に長期間かかっていた.2011年のものは「基準」であり,審査期間の迅速化と効率化が期待されている.その基準であるが,様々な出来事を一定の心理的負荷の総合評価の視点から検討し,表を利用し心理的負荷の強度が「弱」「中」「強」と決められる.それを踏まえて精神障害の労災認定フローチャートに従い,精神障害の労災認定が行われることになる.ハラスメントも労災の対象と明示され,我々主治医が記載した診断書内容もその判断材料にされるという認識は必要であろう.

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おわりに
 職場の状況は時代とともに大きく変化し,最近ではメンタルヘルスに関する問題が急増している.精神科主治医は様々な専門性をもつが,専門性にかかわらずメンタルヘルス不調の労働者の診察を避けて通ることができなくなっている.職場との連携の中では,主治医は患者側に立って疾病性に対応し,産業現場は安全配慮義務と危機管理のバランスを考えながら事例性を中心に対応する.主治医が,同じ医療関係者であっても産業保健スタッフの立場や判断基準は異なることを理解し,国の手引きや指針を理解して産業現場と連携することは,メンタルヘルス不調をもつ労働者が健康的に働き続けるために重要である.

 第111回日本精神神経学会学術総会=会期:2015年6月4~6日,会場=大阪国際会議場,リーガロイヤルホテル大阪
 総会基本テーマ:翔たくわれわれの精神医学と医療―世界に向けてできること―
 教育講演:職場と連携するときに知っておきたい国の指針や手引き 座長:大野 裕(一般社団法人認知行動療法研修開発センター)

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 厚生労働省: 平成26年度「過労死等の労災補償状況」を公表. 別添資料2. (http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000089447.html) (参照2015-12-01)

2) 厚生労働省: 労働者の心の健康の保持増進のための指針 (http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/dl/h0331-1b.pdf) (参照2015-11-18)

3) 厚生労働省, 独立行政法人労働者健康福祉機構: 改訂心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き. 2013 (https://kokoro.mhlw.go.jp/brochure/supporter/files/H25_Return.pdf) (参照2015-11-30)

4) 厚生労働省: 長時間労働者への面接指導チェックリスト (医師用) (www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/roudou/an-eihou/dl/p060327-1a.doc) (参照2015-11-18)

5) 厚生労働省: 精神障害の労災認定 (http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120215-01.pdf) (参照2015-11-18)

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